「帯広の人口は増えている?減っている?」。答えは「減っている」です。ただ、移住や転勤などで新たに帯広に住む人の数は3年連続で増えているんです。ではなぜ減っているか。それは、死亡数が出生数を上回る「自然減」の拡大が要因です。今回の記事では、帯広の人口についてクローズアップします。
突然ですが皆さん、北海道帯広市の現在の人口はご存じでしょうか?
いきなり答えを言ってしまいますが、令和5年7月末日現在の帯広市の人口は以下のようになっています。
唐突に人口を見せられてもよくわからないかもしれませんが、これは地方都市としてはなかなかの数字です。何より、最近、帯広市は人口においてある快挙を成し遂げたのです。
2020年末、道内で5番目に人口が多かった釧路市と、6番目の帯広市の人口が逆転しました。住民基本台帳人口で、釧路が16万5667人に対し、帯広が16万5670人と3人上回ったのです。両市とも近年は人口減少傾向にあるのですが、釧路の減少ペースに対し、帯広のペースが比較的ゆるやかだった結果です。
その証拠に、2022年12月末、帯広市の人口は前年同期比で1033人減少し、16万4014人(男性:7万8271人、女性:8万5743人)となりました。
この減少は前年の623人を上回り、1000人以上の減少は2004年以来18年ぶりだそう。
減少の主な要因は死亡数が出生数を上回る「自然減」の拡大です。
一方、転入者が転出者を上回る「社会増」(転入超過)は3年連続で続いています。つまりは、新たに移り住む人が多いというわけです。
ちなみに、年齢別の人口構成では、15歳未満の年少人口が1万8326人(429人減)、15~64歳の生産年齢人口が9万6273人(685人減)となりました。出産可能な年齢の若年女性(20~39歳)は1万6498人(319人減)です。
逆に65歳以上の老年人口は4万9415人(81人増)。高齢化率(65歳以上の割合)は30.1%(0.2ポイント増)となり、初めて30%を超えました。外国人の人口は1015人(96人増)。世帯数は単身世帯が増加し、8万9966世帯(400世帯増)となりました。
帯広市の人口は、戦後一貫して増加傾向にあったのですが、2001年頃の約17万5千人をピークに減少局面へと入っていきました。しかし、十勝地方ではここ数年、基幹産業である農業が堅実に上昇しており、その結果、人口減は比較的ゆるやかな状況なんです。基幹産業の農業を中心に、周辺産業を含めて産業基盤が盤石であるという十勝帯人の強みが、ついに数字に表れたのです。
そんな帯広市の歴史を語るうえでかかせないのが、「依田勉三」という人です。帯広は、1883年(明治16年)5月、静岡県出身の依田勉三率いる晩成社一行が入植したことから一気に開拓がはじまったと言われています。その後、富山・岐阜を中心とした本州からの“民間開拓移民”によって進められ、急速に市街地が形成され、道東で最大の人口を擁するようになりました。
依田勉三の生きている頃は苦労が絶えず、ついに目覚ましい功績を出せないまま、失意のうちに亡くなってしまいますが、彼の気づいた十勝開拓の地盤はその後しっかりと受け継がれ、その結果として今の帯広があります。そんな歴史を知っている帯広の人々は、依田勉三に敬意を持っているのです。
地方都市である帯広市は、確かに都心部と比べると人が多くなく、活気もあまりないように感じられるかもしれません。しかし、人が少ないことは悪いことばかりではなく、むしろプラスに働いていると言ってもいいかもしれないのです。
十勝の中心都市である帯広市は、十勝のほぼ中央に位置し、面積619.34平方キロメートルを誇ります。その広さに対して、1平方キロメートル当たりの人口密度は32.7人で北海道の66.7人と比べて低く、これを東京都の6468.7人と比較すると、土地が有り余っていると思えるほどに、広々と生活をしている人が多いのがわかります。
土地が多いので土地代も都心部と比べ物にならないほど安いです。そんな帯広なので、住んでいる人は持ち家が当たり前。移住してきた人も、自分の家を買ったり建てたりして、理想の暮らしを実現しています。
人口が程よい帯広は、どこに行っても混むということがありません。しかしながら、人が少なすぎて住みづらいかと思えばそんなことはなく、「食の宝庫」であることに裏付けられて、飲食店が充実しており、種々のおいしい食べ物が安価で楽しむことができます。
また、帯広市の特徴として、碁盤の目状に整えられた都市区画もポイントです。雪が多い地域なので、車での移動が中心となりますが、道はわかりやすく、どこに行くにしても迷うということがまずないでしょう。
さらに、飲み屋などが栄える駅前の市街地は、地方都市特有の寂しさを感じることもないほどさかえているほか、「北の屋台」と呼ばれる全国区でちょっとした有名になるほどの飲み屋街もあり、帯広市の「飲み文化」の発達を感じさせられます。こうした市街地は駅前の一定の範囲にギュッと凝縮されており、その便利さも魅力の一つです。
農業と言えば十勝と言われるほどに、十勝の農業基盤は全国的にも有名ですよね。十勝は大規模農業経営が営まれ、日本の食料供給を担う重要な役割を果たしています。十勝支庁によると、十勝の食糧自給率はカロリーベースなんと約1100%。これは人口の11倍である約400万人分の食を支えている計算です。
主な生産物は、畑作が麦類、豆類、馬鈴薯、甜菜の畑作4品で、この4つの作物を主体とした輪作体系が組まれており、多くの品目で全国一位の生産量となっています。一方、酪農では、1戸当たりの乳牛の飼養頭数は増加傾向にあり、一戸あたり約120頭一戸あたりと、EU諸国の水準に匹敵する大規模経営となっています。
数字で見ると「農業王国十勝」の農協取扱高は、2022年度で3,494億円を誇ります。一方で、実は機関産業である農業を上回るのが、農業生産品を原料とした製造品出荷額で、2020年度で5,048億600万円とこれまでで過去最高を記録しています。日本全体で景気低迷が叫ばれる中、十勝の食は好調を維持しているのです。
そんな好調な農業を左右するのが天候です。十勝は、地図で見ると南に太平洋をのぞみ、周囲を大雪山系、日高山脈、阿寒国立公園の山に囲まれた平野で形成されており、中央には清流十勝川や札内川など大小200の河川が大地を潤わしています。
そうすると、天候においても、雨雲や雪雲が取り囲むようにそびえる山に阻まれるため、北海道でも稀有な、大陸性気候なのです。
大陸性気候である十勝は、春にはフェーン性の乾燥した季節風が日高山脈を越えて強風となることがあり、気温も比較的高め。それにより、夏は比較的高い気温が続きますが、じめじめとしない、カラっとした良い天気が続きます。
冬は大陸性寒冷高気圧におおわれ、寒いところでは最低気温がマイナス30度にもなる低気温が続きますが、日高山脈で雪雲が遮られることから、山沿いの地域以外では雪はかなり少なく、晴天の日が続きます。
以上のように、十勝では年間を通じて、全国的にも有数の日照時間に恵まれ、年間降水量も少なくなっています。そんな十勝では季節の変化が美しく、四季を通して様々な景色を楽しむことができますが、夏と冬の温度差が最高60度にもなります。気温の変化にご注意を!