「自分に才能なんてない」「学歴コンプレックスを抱えている」──もしそんな思いに潰されそうになっているなら、ぜひ彼の半生を知ってほしい。帯広市出身の松浦光さんは、高校卒業後にラーメン屋の激務で心身をすり減らしながらも、札幌への移住や挫折、度重なる試行錯誤を乗り越え、ついに起業へと踏み切ります。その道のりは、まさに「七転八起」。地方移住やUターンに迷う人、高卒や職歴の浅さが悩みの種になっている人――そんな読者に捧げる熱きサクセスストーリーです。
高校時代は走り込み漬けの日々。毎日40~50キロを踏破し、朝5時から陸上の自主練をこなすストイックな松浦少年。そんな彼を襲ったのは足の怪我。全国レベルの陸上競技を断念し、卒業後は帯広のラーメン店で6年間働いたそう。
「朝5時からの仕込み。夜10時までの営業。慢性的な疲弊と心の痛み。抜け出せる道なんてない」と、満身創痍で毎日を過ごし、気づけば6年が経っていました。
24歳のとき、札幌でランチをするビジネスマンに胸を衝かれます。「自分もあんなふうにスーツを着て働きたい」。しかし、現実は厳しかった……。
1年間、まともな就職先が見つからずバイト暮らしの日々。それでも「最後まで面倒を見てくれたアドバイザー」との出会いが運命を変えます。
「面接のやり方や職務経歴書の書き方まで、何度も落ちる僕を見捨てず、最後まで支えてくれたんです。アドバイザーと共に転職活動しているうちに『自分も同じ境涯の人を助けたい』と芽生え、人生を変える出会いとなりました」
1年をかけて得た内定。それは奇しくもアドバイザーと同じ、人材紹介会社でした。
「1年間、耐えられたのは、陸上で備わった不屈の精神と体力のおかげです。ラーメン屋の激務を体力で乗り切り、ようやく掴んだ夢のスーツを着る仕事。入社後は楽しくて仕方がなく、苦しい思いなんてありません。やればやるほど実績が積み上がる達成感は何ものにも代えがたいものでした」
入社後の1年間は、まさに順風満帆。しかし、松浦さんの人生は七転八起。入社し、すぐにトップクラスの売上をあげたかと思えば、マネジメントで大失敗。最下位のチームを任され、文字通り「どん底」を味わいます。
「個人成績のおかげで、トップの成績を出すチームのリーダーに抜擢。ところが、誰もついてきてくれず、チーム成績は嘘のように転げ落ち、最下位近くまでに凋落。メンバーからは愛想を尽かされ、上司に報告が届き、あえなく最下位チームのリーダーに異動。いわゆる左遷でした」
しかし、高校時代に毎日40-50キロを走り込んだ松浦さん。ここでも一念発起。“破天荒”ともいえる努力でチームを数カ月で一気に上位に引き上げたそう。
「昔は自分が成績を収めればヨシと思っていたのを猛省し、先ずはチーム全員のプロフィールを読み込み、対話を繰り返し、独自のメンバープロフィールをまとめました。とにかく、相手を知り尽くそうと考えたんです。趣味や癖なども聞き、一人ひとりにあった、コミュニケーションを取ることで、チーム成績は少しずつ上がりました。最後は、自分の営業話術をまとめた資料を渡すことで、気づけば、皆が私の話し方を真似るほどに一丸となっていました」
個人主義だった松浦さんが、マネジメントに目覚めたのもこの経験から。同時に「できない人や組織を底上げするほうが面白い」と、初めて他者目線を学んだ瞬間でした。
「いつかは地元に戻って。同じように苦しむ人を支えたい」と思う中、5年の月日が経過。
30歳となり、かねてから決めていたUターンを実行に移します。帯広に戻り、地元で求人サイトを運営する企業に転職。「過去の自分と同じ境涯の人を支えたい」との思いで“採用支援”に打ち込みます。だが、求人広告は企業から「結果が出なければ金の無駄」と敬遠され、門前払いの日々。しかし諦めず、マーケティングを独学で吸収。ロジックで動く人の心理を追究し、粘り強く営業を続けました。
「札幌での成功体験が通じず、悔しかったんです。そして、広告とはいえ、結果がでないことには理由があると考え、マーケティングの必要性に気づき貪るように学びましたね」
学びながら、自分の力を試したいと、2023年6月、個人事業主として名乗りを上げたものの、当初あった仕事が突然なくなり、自分の居場所を失います。カフェに居座り時間を浪費する“リストラ状態”。
「仕事がないことを妻にも言えず、スタバで時間を潰すだけの日々。あれが一番キツかったかも」
その苦境を救ったのは、いつも支えてくれた金融機関から紹介された会社社長の一言でした。「動画できない?」と動画編集の依頼を受けます。
「絶対に失敗はできない」と、有名インフルエンサーと協業しながら最前線のノウハウを学び、実践を重ね、“試行錯誤”を繰り返すうちに徐々に数字が伸び、再現性のある手法を確立し、現在のスタイルに。さらにふく井ホテルの林社長とタッグを組んだ動画がバズり、高校生から声をかけられるほどの反響を得ます。
「林社長との出会いは、本当に大きなきっかけでした。企画内容からすべて任せてくれて、自由にやれたことも感謝です。何より、結果が数字に現れたことが嬉しかったですね」
写真(左)ふく井ホテル 林社長
2024年10月、自身の会社を「YOZORA」として法人化。本社は、出資を受けているふく井ホテル内に置きました。
TikTokなどショート動画を武器に、北海道内の企業約30社を支援し、今では採用や売上UPの仕組みづくりを進めます。平均1万再生超、50万再生を記録する事例も出るなか、道外からの中途採用にも成功事例が出始めているからです。
法人化し、元客室乗務員の長内さんも加わり、ますますSNSマーケティングに磨きをかける株式会社YOZORA。
「ただバズらせるだけでなく、応募や売上につなげる“真のマーケティング”を目指す。まずは北海道No.1のSNS会社にさせます」。そう言い切る表情には、かつて“自分に取り柄などない”と嘆いた面影はもう見えません。
高卒だから、職歴がないから、地方出身だから──そんな言い訳を捨て去るだけの価値を、松浦光さんの歩みははっきり証明してくれました。心が折れるような劣等感や暗い過去があろうと、「やればできる」。物語を動かすのは、自分自身の行動力。バラバラだったピースをつなぎあわせ、SNSマーケティングという新たな武器を手にした“地方発ベンチャー”が、今宵も北の夜空を鮮やかに照らしはじめています。
1988年生まれ。北海道帯広市出身。帯広森の里小、帯広緑園中を経て山梨学院大付属高へ進学。陸上競技で駅伝で全国大会出場経験あり。足の怪我で競技を断念後、高校卒業と同時に帯広へ戻り、ラーメン店で6年間勤務。24歳で札幌に移住し、人材紹介会社などで経験を積む。大手人材会社ではマネジメントに挫折しつつも再起し、“底上げ”の面白さに目覚める。30歳でUターン、地元企業に勤めつつマーケティングを学び、2023年6月に個人事業主として独立。SNSマーケや動画制作で成果を上げ、2024年10月に株式会社YOZORAを設立、代表取締役に就任。