「帯広・十勝にスタートアップエコシステムができているのであれば、それは、リスクを自ら背負う人たちが集うからでしょう」。そう語るのは、北海道の十勝地方でスタートアップエコシステムを構築し、起業家支援に情熱を注ぐ帯広市長の米沢則寿氏。
金融畑としてキャリアを積み、世界を経験した彼がUターンして市長となり、地域の食や農業を中心にした発展戦略を展開する背景には何があるのか。市長としての14年間の成果や公約「フードバレーとかち」の現在地、TIP(とかち・イノベーション・プログラム)について、そして未来へのビジョンについて語ってもらいました。皆が知るべき米沢市長の熱意と行動力に迫ります。【経済界 9月号 掲載記事のスマヒロ版をTCRU再掲載】
――振り返って2010年の帯広市長選出馬のきっかけは何だったのでしょうか?
米沢 市長選出馬のきっかけは、自分のキャリアと人生設計を見直した結果です。東京でベンチャーキャピタルの仕事をしていた中、あと数年(市長選の出馬時53歳)で60歳という定年が迫っていました。サラリーマンとして、さらなる役職を望める反面、60歳での退職後どうするのか?という疑問を感じ、新たなキャリアを模索しはじめたのがきっかけです。
――なぜ首長を目指したのですか?
米沢 自身のキャリアの中で特に印象に残っているのはマネジメントスキルの重要性でした。新卒で入った石川島播磨重工株式会社(現 株式会社IHI)では、プラント輸出の現場で、プロジェクト・マネジメントを学び、その後も経営企画や海外現地法人のトップ、合弁会社の社長など、多岐にわたるマネジメント経験を積んできました。これらの経験を生かし、何か新しいことをしたいと考える中で、「シティマネジメント」という考えに行き着きました。
1956年生まれ。帯広市出身。78年北海道大学法学部卒業後、石川島播磨重工業株式会社(現株式会社IHI)入社。85年日本合同ファイナンス株式会社(現株式会社ジャフコ)入社。89年同社ロンドン駐在員(93年所長就任)95年北海道ジャフコ株式会社取締役社長。2000年株式会社ジャフコ取締役を経て常務取締役、05年ジャフココンサルティング株式会社取締役社長を経て、2010年帯広市長選挙に立候補、当選し、現在は4期目。
――2005年のスタンフォード大学卒業式でのAppleの共同創業者の一人、スティーブ・ジョブズ氏のスピーチにも影響を受けたとお聞きしました
米沢 はい、ジョブズ氏のConnecting the dots (点と点をつなげる)という考え方に感銘を受けました。前述しましたが、自分のキャリアの点と点を繋げた時に、マネジメントスキルが浮かび上がり、そうであれば「ふるさと帯広市のために生かせる」とUターンしての市長選出馬に繋がりました。
――市長選に出馬を決めるきっかけは他にもありそうですね。
米沢 あります。当然、シティマネジメントに興味を持ち、徹底的に学んでいた時期です。帯広や十勝地方の現状を改めて調べてみると、自分が知っていた頃とは全く異なる街がありました。農業が発展し、地域が豊かになっていることに驚き、どんどん関心が寄せられていきます。
また、その時に読んだ本で、掛川市長を務めた榛村純一氏の著書「地球田舎人をめざす」という本に出会いました。「故郷、大都会、グローバルの3つの土地勘をクロスさせる見識・能力が新しいリーダーの要件」との記述に思わず「東京とロンドンなどを経験した自分だ!」と自分の姿を重ね合わせたんです。これも、市長選出馬のきっかけの一つになりましたね。
――勉強(インプット)し、考え尽くした結果がUターンして市長選へ出馬!という答えを導き出したわけですね。市長としての最大の公約「フードバレーとかち」はどこから発想したのですか?
米沢 フードバレーとかちは、単なる産業集積ではなく、地域の農業資源を最大限に活用し、新しい価値を創出することを目指す構想です。すでに構築されているオランダのフードバレーを参考にし、帯広や十勝の強みを生かし、持続可能な地域経済を実現するための取り組みとして、地域の農業資源を最大限に活用し、新しい価値を創出することを目指したのが、フードバレーとかちです。
――2010年の1期目から、一貫してまちづくり構想「フードバレーとかち」を掲げています。
米沢 フードバレーとかちは、経済の活性化や生活環境の充実を目指した、十勝ならではの地域産業政策です。十勝は民間による開拓と農林漁業を基幹産業として一体的に発展してきた歴史があります。そこで、十勝の19市町村、生産者、経済団体など41団体で構成する協議会を立ち上げ、農業を成長産業にする、食の価値を創出する、十勝の魅力を売り込むという三本の柱で産業政策を展開してきました。
また、十勝という広大な地域だからこそ、気候変動、水資源の枯渇、食料の安全保障、エネルギーの供給という世界共通の課題に対し、十勝・帯広から解決策を提示できるとも考えました。
――市長の公約に19市町村の広域連携を前面に押し出すのは珍しいですね。
米沢 広域連携を強調し、帯広市と周辺町村が協力して成長していくことが重要だと考えたからです。市長としての使命は、農業を中心にした仕事づくりと広域連携の推進です。消防の一元化、ごみ処理の共同化、医療の連携、そして水道の統合といった生活の基本インフラを一緒にすることで、帯広と周辺町村が運命共同体となるようにチャレンジしました。19市町村は不即不離の関係なんです。
――あれから14年。成果はいかがでしょう。
米沢 オール十勝で取り組んできた結果、人口33万人の地域でありながら農畜産物の十勝管内JA取扱高は就任前の約2,400億円から約3,905億円(最新速報値※図は2022年度)と大幅に増加。また、新設会社数は2012年に149社だったのが、22年には215社と約1.5倍に増えたほか、市税収入の増加や公示地価も上昇し、将来推計人口による人口減少率は北海道内で2番目に低いんです。
――新設会社数の増加はフードバレーとかちとどう関係しているのでしょうか?
米沢 フードバレーとかちは、十勝地域の農業を基盤に新しい価値を創出することを目指しています。私個人としてもジャフコでの投資経験から、中小企業やベンチャー企業を育成し、地域に仕事を創出することに注力してきた経緯があります。
しかし、地方都市ではヒト・モノ・カネ・情報が集まりにくいため、地方に合った起業創業支援が必要でした。そこで、2015年、株式会社野村総合研究所の齊藤義明氏のプロジェクトをきっかけに「とかち・イノベーション・プログラム(TIP)」を開始。TIPは、事業構想そのものを創り出すことを目的とし、起業を目指す人がチームをつくり、協力・励まし合いながら事業構想の質を高めています。
――とかち・イノベーション・プログラム(TIP)についてもう少し詳しく教えてください。
米沢 TIPは、地域が持続的に成長するために魅力ある仕事づくりと担い手の育成を目指して始めたプログラムです。毎年、約5か月間、10数回のワークショップを通じて、創造的・革新的な事業構想を生み出します。通常、起業の動機は「社会課題」や「ニーズ」からですが、このプログラムは、参加者の原体験や内面の欲求を起点とし、情熱を持った起業家を育成することを目的としています。つまりは、1人や1社ではできないことを目指すプログラムなんです。さらに、実施には帯広信用金庫を中心とする民間主導のプロジェクトとして進めています。
――TIPの実績について教えてください。
米沢 9年間で延べ630人が参加し、74件の事業構想が発表され、そのうち24件が事業化されました。プログラム参加者同士の繋がりも生まれ、LAND(帯広市内中心部に設置されたコーディネーター常駐のスタートアップ支援スペース)を中心にプログラム外の活動も活発に行われており、形成されたベンチャーコミュニティから新たな事業や地域の中心となって活躍する人材が生まれています。
――TIPから誕生した起業家や事業について教えてください。
米沢 世界で唯一の競馬「ばんえい競馬」で活躍した輓馬が馬車を曳いて街中を周遊する「馬車Bar」は、帯広の新たな観光コンテンツとして浸透しています。また、鳥獣害被害に悩む生産者とハンター、飲食店を繋ぎジビエの流通プラットフォームを運営する「株式会社Fant」や古紙と廃棄野菜などにデザイン力で付加価値をつけた名刺を製作・販売する「やさいくる」など、まさに、地域の優位性を生かした事業創発が進んでいます。
――十勝の農業を基盤に新しい価値を創出するというフードバレーとかちそのものということですね。市長が考える起業家にとって大切なことは何ですか?
米沢 イノベーションのほとんどは「諦めなかった人」が実現しています。民間開拓団から始まった十勝の起業家には、諦めない心を持ち、挑戦し続けてほしい。リスクを自ら背負う人たちが集う場所(TIPやLAND)からは、これからも新たな事業が生まれ、未来の十勝を明るく照らすと信じています。私自身も、地域の新たな可能性を見出し、それを実現するために全力を尽くしていきます。
――最後に、今後の展望についてお聞かせください。
米沢 これからの10年間、フードバレーとかちの展開において様々な局面で大きな変化が起こるでしょう。高速道路がさらに繋がり、自然エネルギーの利用が進み、働き方改革が進展する中で、帯広や十勝の位置づけが大きく変わると考えています。私の使命は、農業を中心にした仕事づくりと広域連携の更なる推進です。これまで培ってきた成果を振り返り、点と点を繋ぎ合わせて新たな価値を生み出すことが出来ると考えており、こうした視点を、前向きな思いを持つ人たちと共有し、地域の活性化に繋げていきたいです。
いかがでしたでしょう。魅力があるからこそ、キャリアパスを描く際に「帯広にUターン」が浮かぶんです。将来の可能性を感じることができるからこそ、選ばれるのが帯広です。市長の話は、4年連続で北海道でNo.1となった「住みよさ」のエビデンスのひとつにもつながるかも知れませんね。ぜひとも、帯広へ移住して素敵で豊かな生活を送ってみませんか?