本記事は、十勝を愉しむメディア「MATOKA」に掲載されたインタビューをもとに、TCRU向けに再編集したものです。北海道・上士幌町にある“幻の橋”タウシュベツ川橋梁。その儚い美を20年にわたり撮り続けてきた写真家・岩崎量示さんとともに、幻想的な風景を歩きました。橋を訪れる旅の途中に垣間見えたのは、上士幌という町が持つ、暮らしの場としての静かな魅力でした──。
岩崎 量示 | いわさき りょうじ
1979年生まれ。埼玉県出身。2002年立教大学経済学部卒業後、日本各地を放浪した後、2005年より北海道上士幌町糠平に移住し、北海道遺産「タウシュベツ川橋梁」の撮影開始。18年に写真集『タウシュベツ川橋梁』、24年に『続 タウシュベツ川橋梁』を北海道新聞社より刊行。
十勝晴れの初夏。朝9時に糠平湖畔の林道へ。先導する岩崎量示さんは、時折レンズを向けてシャッターを切ります。
「はじめて来た人は橋を見つけられないんですよ。上から縦に見えるコンクリート片を“橋”と認識できないまま湖畔に辿り着いちゃうからなんです」(岩崎さん)
なるほど……。森が途切れると岩崎さんの言う通り、湖に向かって灰褐色のコンクリートが続いていました。これがタウシュベツ川橋梁です。6月初旬。水位は少し高く、灰褐色のアーチは7割ほど姿を現していました。
道中は、シカの親子が顔をのぞかせ、林道に残るシカの足跡を追うように森を抜けます。すると、半世紀以上前に役割を終え、いまや「湖に浮かぶ彫刻」と化したタウシュベツ川橋梁がかかっているんです。ふと見ると、岩崎さんはファインダーをのぞきもせず、ただ目でアーチをなぞっていました。
その不規則な出現は、地元ガイドが「四季八景」と呼ぶほど多彩。近年はコンクリートの劣化が進み、専門家からは「崩落は時間の問題」と警告されています。
「僕が訪れた20年前から『あと3年くらいで朽ちるよ』と地元の人は口々に言います。そこで、最初は“消えゆく前に3年ほど記録しよう”と思っていました。ところが橋は思いのほか頑丈で、日々ゴールが遠ざかっている感じですね。10年くらい前からは『今年で見納めかも』と言い続けて今に至っているんです」(岩崎さん)
立教大学を卒業した岩崎さんは、アルバイトで旅費を稼いでは日本中を3年ほど放浪。「原付でお遍路も回った」という2000年代初頭。その後、上士幌(糠平(現在のぬかびら源泉郷)のペンションで住み込みの仕事に声をかけてもらい、そのまま十勝に移住したそうです。
「当時は、就職氷河期で行き先もなくて、四国八十八ヶ所巡りで出会った、お遍路が13周目になるという旅人に『旅で何かが見つかりますか』と尋ねると『みつからないから続けています』との答えを聞き、旅を辞めようと決意。しばらくは腰を据えた暮らしをしてみようと北海道に住むことにしました」と振り返る岩崎さん。
今でこそ、「幻の橋」とのキャッチフレーズで多くの人が訪れるタウシュベツ川橋梁ですが、当時は、訪れる人もまばらな、ただの朽ち果て寸前の橋でした。
「地元の方々は『あと2〜3年で崩れるよ』と口を揃えます。“だったら今、誰かが記録しなきゃ”。とはいえ、当時はカメラマンの知り合いもいませんでした。ならば近くに住んでいる自分が、と撮りはじめたんです」(岩崎さん)
前述の通り、最初は橋が崩れるまでの3年間くらいのつもりで撮影を始めたそうですが、なかなか崩れず今に至るそう。
「写真の技術は、独学で身につけました。写真を取り続けるうちにカメラマンとしての仕事の依頼もくるようになり、生活の糧にもなっていきました。仕事が忙しくなることもありますが、週に2〜3回はタウシュベツ川橋梁を訪れています。風景も、橋自体も変化していくので、なかなか見飽きませんね」
「撮りはじめたころは崩れるプロセスを追う撮影だと考えていました。ただ、橋の歴史をあらためて振り返りながら通っていると、“あ、この橋は崩落して終わりなのではなく、この土地に還りつつあるのだ”と気づいた。現地で採取された材料で作られた橋だからこそですね」(岩崎さん)
橋脚表面には無数のクラックやすでに崩れているボロボロの橋。それでも冬になり、湖面が凍り、雪が積もるとひとつの造形物として違和感が消えます。融雪期には水鏡に映り込み、夏は半身を沈めながら新緑と対話するかのように……。
「撮り続けることで、変わったのは橋だけじゃなく、僕自身の人生も変わっていきました。撮り続ける人として取材を受けたり、語り部として認知されたり、写真家として仕事が舞い込んだり、写真集も発刊するなど、タウシュベツ川橋梁を撮ることで起こる様々な出来事を楽しんでいます。そう遠くない将来、この橋は崩れるはずです。ただ、崩れた最初の目撃者にはなりたくないんです。それは崩落が悲しいというわけではなく、わざと壊したと思われかねないですから」(岩崎さん)
季節見どころ冬(1〜3月)氷結期。湖面が天然のステージに春(4〜5月)融雪期の“水鏡”夏(6〜8月)新緑+半没アーチ秋(9〜10月)朝霧と紅葉
「ここ数年は、観光客が増えたので橋まで近づくには許可が必要になりました。国立公園でもあるので、自然を踏み荒らさずに橋だけじゃなく、周囲の環境も楽しんでもらいたいです。橋がなくとも、北海道らしい風景が楽しめる場所ですからね」(岩崎さん)
「橋の周辺はヒグマの生息地です。携帯電話の圏外で、林道は未舗装のダートですので、初めて訪れるならガイドセンターのツアーに参加するのがおすすめです」(岩崎さん)
湖畔を進む途中、岩崎さんが足を止め、アーチの一部を指した。「雪解け時期を中心に、ここ数年は毎年のように橋から壁が崩れ落ちています。一つながりのアーチ橋を見られる時間は残りわずかかもしれません」
「そもそも撮りはじめた目的が、橋の最後の姿を記録することでした。ですので、橋が崩れた後の方が、むしろ僕にとっての本番かもしれません。まだ発表できていない映像や写真も溜まっているので、はやくお見せしたいけど、崩落も待ってほしい。ジレンマですね」(岩崎さん)
十勝晴れの6月初旬、湖面に二重のアーチが浮かび、やがて光が傾くと影は飲み込まれます。岩崎量示さんが二十年追い続ける“幻”は、崩壊という終わりを孕みながらなお、見る者の時間を拡張し続けています。タウシュベツ川橋梁はただの廃橋ではない。風雪と水位と光が織る巨大なカメラ・オブスクラであり、見る者の内側に“記憶のフィルム”を焼き付ける装置ではないでしょうか。
「橋が崩れ落ちたら、僕の仕事はそこで一区切り。でもそこからまた新しい景色が始まるかもしれないと思っています。終わりじゃなくて“別の章”が始まるという感覚ですね」
この橋を訪れるとき、あなたの呼吸は湖の鼓動と同期し、岩崎さんのレンズがとらえた「まだ誰も見ていない瞬間」の続きを、肉眼で引き継ぐことになるでしょう。崩落のその日まで、あるいは崩れた後も―タウシュベツ川橋梁は、私たちに“行く理由”を与え続けるに違いありません。
写真集『続 タウシュベツ川橋梁』は以下から購入できます。
「幻の橋」に惹かれ、訪れる人の心をつかむ上士幌町。そんな自然と静けさに魅せられた人々が、実際に“暮らす”ことを選んでいるのをご存じでしょうか?
上士幌町では、健康・環境・観光をキーワードにした「イムノリゾート構想」を掲げ、都市と農村が共生する新たな暮らしの形を目指しています。その一環として、町では本格的な移住を希望する人のための「生活体験モニター事業」を実施。1週間から最長1年まで、町が用意したモデルハウスに滞在し、実際の暮らしを体験することができます。Wi-Fi完備の住宅には生活に必要な家電や家具も整備されており、パソコンさえ持参すればすぐに“上士幌の日常”が始まります。
体験を経て、実際に移住・二地域居住を始めた人も多数。毎年50組前後がこの“ちょっと暮らし”に参加しているのも納得の、手厚いサポートが魅力です。
さらに、移住希望者の相談窓口として、町内には「NPO法人上士幌コンシェルジュ」が設立されており、移住後の生活や仕事に関する疑問にもワンストップで対応してくれます。
どこか懐かしく、それでいて未来志向。 タウシュベツ川橋梁のように、時の流れとともに味わいを深める町、上士幌。
まずは、「ちょっと暮らし」で一歩を踏み出してみませんか?
★詳しくは「上士幌町移住・定住情報」公式サイトをご覧ください。 (※「生活体験モニター事業」は令和7年度も実施予定。お早めにご確認ください)
★「MATOKA(マトカ)」の記事は以下のリンクから。