やりたい仕事がない。やりたい仕事ができないと悩んでいるあなた。私もそうでした。今回は「やりたい仕事がない人へ」と「やりたい仕事ができない人」に客観的な理由と私の経験をお伝えします。もちろん「時代が違うから、世代が違うから」という意見もあるでしょう。それでも、悩んでいるならこれを読んでください。
言霊を信じている人もいるでしょう。私もその一人です。「やりたいことや仕事」があるのであれば、それを周りに公言していくことで、自然とやりたい仕事が舞い込むという感じです。
確かに「この仕事がやりたい」と言い続けることで、チャンスが訪れたこともありました。
ただし、年を重ねると色々な事情や状況で、24時間、仕事を考えることができなくなる時がきます。家族や子育てに時間を使うことで。せっかくのチャンスを逃してしまうこともあるでしょう。逃すというより、自分で優先順位を変えてしまうことがあるということですね。
ここで、皆さんに伝えたいのは「やりたいこと」を簡単に口にすることの危険性。なぜなら、「やりたいこと」が「やらなければならないこと」に変わってしまう恐れがあるからです。
勤め人としての経験を通して、私は学びました。どんなにやりたい仕事があっても、その気持ちをすぐに表現するのはリスクがあるんです。まわりがそれを期待するようになり、自分のペースや能力を超えて、仕事が増えてしまうことにつながります。つまりは、実力が伴っていないときには、期待を損なう恐れと自分を追い込んでしまい、プレッシャーに潰されてしまうことです。
「仕事ができる人には仕事が舞い込む」という言葉は、褒めているわけではなく、偏った業務の割り振りがされている証拠でもあるんです。
しかし、一方で「やりたいこと」を隠すことの危険性もあります。隠すことで熱意や情熱が低下し、毎日が不完全燃焼で終わってしまう。何よりも、自分自身の「やりたいこと」の炎が小さくなり、最終的には生きがいすら感じられなくなってしまう。
結論として、やりたい仕事をするためには、自分の心の中の「やりたいこと」を大切にし続けることが重要です。それをしっかりと持ちながら、どのようにそれを外に発信するか、組織人としては、バランスを取ることが求められます。
やりたい仕事を追求する皆さん、是非とも自分の心と向き合い、最適な方法を見つけてくださいね。
ここまでは客観的に「やりたい仕事」をするためのセオリーを書きましたが、ここからは私の話。
大学卒業後に上京し、新聞記者になりました。最初の3年はガムシャラに仕事に没頭しました。とにかく、これまで会ったことのない人達に出会える記者という仕事が楽しくて、寝食を忘れるほど。
当然、上司に言われたことは何でもやりました。上司の依頼を終わってからが自分の仕事タイムです。
深夜、朝帰り、会社に寝泊まりも経験。辛いよりも、とにかく記者という職業のやりがいが勝っていたのを覚えています。
気づけば、3年がたち、上司からの信頼を得ることで、自分の考えを求められることが増え、企画もどんどん通ります。
そうです。3年、上司の仕事をしてきたことで、「やりたい仕事」ができるようになったのです。
「当たり前じゃん」「上司の犬だったからでしょ」と揶揄されたこともありましたが、多くはできない人たちの言葉でした。
その後、何度か転職を繰り返しましたが、すべては同じ手法です。
誰か(上司やお客さん)が困っている(できない)ことをやってあげることで、信頼を積み重ね、次第に、任せられるようになり、いつしか自分のやりたいこともやれるようになるんです。
今では、地域の課題を解決するためと言いながら、自分の会社を設立するまでに至りました。
記者、編集者、海外経験、地元にもどり起業という道のりですが、それはあくまで社会人になってからの経歴です。
23歳(1年間は就職浪人)で社会人となるまでは「やりたい」が見つからず、漠然と「将来どうしたらよいだろう」と毎日、悩んでいました。
周りは、就職活動しているのに私は何もしませんでした。卒業間際の1月には、見かねたゼミの先生が会社を紹介してくれたのにも関わらず、「興味が抱けない」という理由で断る始末。
祖父が亡くなり、葬式の場で母方の叔父から「俺の会社(札幌市)に入れてやる」と言われるも「自分でなんとかします」と断り、いよいよ、どうして良いかわからなくなったときです。
父方の叔父から「東京に出てくれば色んな仕事があるから来い」というのです。
その一言が、私を変えます。
私の心の奥には「東京に出てみたい」という憧れがあったものの「仕事を先に決めなくては行けない」と諦めてました。
そんな私に「先ずは東京に出られる」という支援の手が伸び、私の人生を変えてくれたんです。
上京してすぐに飯田橋のハローワークへ行くと、ある業界紙の会社の求人票があり、それを受けて結果的に上京して1ヶ月もしないうちに就職先が決まり、私のメディア人生がはじまります。
そこで出会った記者という仕事が、いつしか「やりたい」に変わっていきます。
私の中で「やりたい」は見つけるものではなく、みつかるものだったんです。
記者となり「行動」することが仕事になったことで、多くの人に会う毎日。ネットで知る情報ではなく、生で聞く言葉や雰囲気、場所、数珠つなぎで出会うm新たな「人」。そこで得る情報は知るのではなく、「染み込む」ものでした。
今では、染み込んだ情報が、私の体と頭の中で「やりたい」に変換され、次の行動に移す原動力となっています。
もう一度、言います。
「やりたい」は行動することでみつかるものなんです。
ここまで「やりたい仕事」をするための基本的なセオリーと私の個人的な考え方について書いてきました。ここからはX(旧ツイッター)のつぶやき(現在はポストと言います)のような前向きな言葉を綴ります。意識が高まりますよ!
「やりたいこと」とは、ある種の挑戦です。
米大リーグ通算3089安打のマリナーズのイチロー選手の引退会見の際の言葉「やりたいと思えば挑戦すればいい。そのときにどんな結果が出ようとも後悔はない」は私の脳裏に焼き付いています。
それを聞いてから合言葉のように使っているのが「人生は一回きり!だからこそ、後悔しない選択を続ける人生をおくる。そのためにも行動を止めない」です。
以下は、私が挑戦し続ける自分でいるための5つのステップです。
新しいことに挑戦する際、失敗は避けられないものとして受け入れる必要があります。野球やサッカーやトランペットに限らず、初めての経験で完璧な結果を求めることは不可能です。だからこそ、挑戦することの価値はその結果にはなく、挑戦する過程とその経験にあります。イチローイズムですね。
「正しいか、正しくないか」「出来るか、出来ないか」ではなく、「やりたいか、やりたくないか」で判断することが大切です。これにより、本当に自分の心が望む道を選び、行動することができます。
人生において最も印象に残る瞬間は、心が動いた、感動した瞬間です。そういった体験は人生の充実度を高め、やりたいことへの情熱や意欲を生む原動力となります。私で言うと叔父から「東京で仕事を探せば良い」でしたね。
集団の中での長年の習慣や思考は、新しい挑戦から足を引っ込めさせる要因となります。しかし、常に自分の心の声を聴き、感情を大切にし、新しいことに挑戦する際の「決断」において心の声を尊重することが重要です。過去の成功体験はすぐに捨てるべきです。
全てを一気に変えるのは難しいかもしれませんが、小さな一歩から始めてみましょう。まずは、小さな挑戦から試して、経験を積み重ねることで自信をつけていきましょう。朝早く起きる。ジョギングをはじめる。スモールスタートで起業する!
結論として、「やりたい仕事」を実現するためには、自分の心の声を信じ、その声に従って行動することが最も重要です。ただし、我慢をすることも大事です。他人が「やれない」「やりたくない」ことをすると信頼を得られやすいからです。我慢のし過ぎはダメですが……。
失敗を恐れず、挑戦することの価値を理解し、自分の人生を最大限に充実させるための選択をしていきましょう。そのためにも、常に自分の価値向上、つまりはスキルアップの努力は忘れずに!凡人である以上、他人よりも努力をしなければ、価値は高まりませんから。
株式会社スマヒロ|代表取締役兼CEO|1977年生まれ。帯広市出身。大学卒業後、地方新聞、経済誌、月刊誌の記者・編集者(日本)を経て、2013年タイ・バンコクに移住。週刊誌(タイ)の編集長。2020年に本帰国。2022年に起業支援会社「合同会社コントレイル」の投資1号案件として投資を受け、同年7月に株式会社スマヒロを設立。