「幼稚園の先生を一度辞めているんです」。そう話すのは帯広葵学園が運営する幼保連携型こども園「緑陽台認定こども園」で4歳児(年中さん)の担任を受け持つ愛(あい)さん。幼児教育の世界に入り10年目の先生です。どうして幼児教育の場から離れ、戻ってきたのでしょう。そして、今では「天職です」とはっきりと言い切る愛先生の変貌と幼稚園教諭にかける姿勢を聞きました。すると意外な事実が……。
2020年入園・幼稚園教諭
帯広市出身。短大卒業後、幼稚園に就職。1度は幼児教育から離れ、事務職とアパレル業を経験するも「子どもたちの成長をずっと見守りたい」との想いから復帰。現在は帯広葵学園「緑陽台認定こども園」で4歳児(年中さん)の担任を受け持つ。趣味はカラオケ
今回の主人公は、帯広葵学園の幼保連携型こども園「緑陽台認定こども園」で4歳児(年中さん)の担任を受け持つ愛先生です。
保育教諭としてのやりがいを聞くと、開口一番に「子どもの成長を肌で感じられることが一番のやりがいに繋がっています」と応える姿勢は、さすがのキャリア10年戦士。
愛先生が勤める、「緑陽台認定こども園」は、0歳$301C6歳まで約120人を預かる大型園。愛先生は同園に入り3年目。昨年は、未満児の1歳児を担当したそう。
その際の経験について尋ねると、「最初ハイハイしていた子が、立ち上がり、だんだん歩けるようになるんです。そして、3月頃にはお話までできて、『あい先生』って近寄ってきてくれるんです。できなかったことがどんどん出来るようになる成長を肌で感じられる喜びは言葉では言い表せません。そんな子どもたちの成長を保護者の方と一緒に共有しながら、一緒に喜んだり、悩みを一緒に考えたり、一緒になってお子さんに向き合えるのが、やりがいに繋がっているんです」と曇りなき眼で語る姿からは、安心感が放たれていました。
そんな、やりがい戦士愛先生が教える帯広葵学園は1968年に9名の園児からスタート(当時は葵幼稚舎)しましたが、今では、幼稚園型認定こども園(帯広の森幼稚園、つつじヶ丘幼稚園)を中心に、幼保連携型認定こども園、小規模認定保育園、保育所、企業主導型保育園、未就園児教室、発達が気になる子どもの障害児通所支援事業所「あおいとりプラス」など、多くの子どもたちと向き合う学校法人。
ちなみに、「緑陽台認定こども園」は幼保連携型認定こども園で、保育園と幼稚園の機能を併せ持った新しいタイプの施設。保育と教育の2つの役割を持っているので、保護者が働いていてもいなくても、どの子どもも同じように保育と教育を安心して受けられます。
前述した通り、0歳から6歳まで約120人を受け入れる「緑陽台認定こども園」は、それだけ先生の数も多く、携わる幼児たちの年齢幅もあり、教える側のキャリア形成も気になるところ……。
「私も入って驚いたのですが、気持ちが良いほど、風通しの良い環境が整っているんです。預かる幼児への対応や保護者との関係など、経験を積むことはたくさんあるのですが、そこは先輩から後輩へしっかり伝授される風土が整っているのが緑陽台認定こども園です。最も驚かされたのが先生たちの『全力』な姿勢です」(愛先生)
そう愛先生が話す通り、例えば、機材や器具など、子どもの安全を確認・確保するために、先ずは先生たちが全力で用具を試すのが緑陽台魂で、「今日は副園長が新しいボールがどれだけ硬いかを試すために全力でドッチボールをしていましたよ」と笑いながら話す愛先生。
通常、社風が合う、合わないは個人による感覚の差が大きいものですが、ここで働く先生たちにとっては、全力で向き合う純粋な姿勢(方針)こそが、皆を同じ方向に進める羅針盤。だからこそ、愛先生が言う通り、先輩・後輩の間柄や組織内の風通しが良く感じるのではないでしょうか。
まさに、やりがい戦士にとっては順風満帆に見えるキャリアですが、冒頭で書いた通り、愛先生は一度、業界から出るという決断をした過去があります。
とその前に、まずは愛先生がどうして幼稚園教諭になったのかを振り返りましょう。
「物心が付く頃には、『将来は幼児教育に携わりたい』と思っていました。それは、叔母が保育士だったからなんです。正直、はっきりとは覚えていませんが、かわいがってくれた叔母の子どもに対する振る舞いを見て『こんな保育士さんになりたい』と思ったのかもしれません」(愛先生)
それから数年後、帯広の高校を卒業し、札幌の短大へ進学。そこで保育士と幼稚園教諭の資格を取得すると、卒業後は憧れの叔母の誘いを受け、叔母が勤める幼稚園へ就職します。
憧れの叔母に一歩近づいた瞬間でした。
「叔母は、私が入って数年で定年退職してしまったので、一緒に働いた期間はそれほど長くはありませんでした。それでも多くのことを学びましたし、現在の私があるのも叔母のおかげです。今でもよき相談相手です」と叔母への気持ちを語ります。
順風満帆な幼児教育キャリアを歩みだしたやりがい戦士愛先生ですが、遂に最大の転機が訪れます。
「足を怪我し、現場から戦線離脱を余儀なくされました。その時ですが、糸が切れたかのように、やりがいを感じなくなってしまったんです。そして、怪我が治っても現場には戻らず退職。1年ほど別の仕事を経験しました。そのときに体験したのが、幼稚園の先生にならなかったら、やってみたかったアパレル業界です。最初はもう、楽しくて仕方がなかったですね。ところが、子ども服を買いに来る子どもたちと接しているうちに、こう思うようになりました。『ここでは、この子たちの成長は見られない……』。そう思った瞬間に自分の居場所はここじゃない。幼児教育の現場こそが天職なんだ!そして、できれば今までよりも長く成長を見ていたいと復帰を決意するも、元サヤではなく新たなステージを目指しました」。
皆さん、もうおわかりですよね!
「やりがい戦士シーズン2」の舞台は0歳から6歳までを預かる「緑陽台認定こども園」へと移します。
まさに天職を求めての転職です……。
愛先生の場合、一度切れた心の糸が、別の仕事に就くことで、自分を深く見つめ直すきっかけとなり、再び、しかも今度はもっと太く繋がったというわけです。
あれから3年……。
未満児(1歳)の成長を見届けた現在は、4歳児27名を預かる担任となりました。
「毎日、全力ですよ!一緒に遊ぶとき、学ぶとき、全部本気でぶつかっています。そして、その日あったことは、できるだけ保護者にしっかりと伝えるようにしています。仕事と家事と育児ですごく忙しい中、本当に毎日子どもたちのことを考えて、どんなときでも笑顔でお迎えに来てくれる父母の皆さんには感謝しかありません。その姿をみるだけで、『私も一緒に子どもたちの成長を見守っていきたいです。協力させてください』と思っちゃうんです。これはもう天職じゃないかって」(愛先生)
子どもの頃からの目標を現実にし、実践する中で挫折を味わい、そして気づきから復帰し、天職を知った瞬間でした。
これだけのことをハッキリ!しっかり!応えられるのは、幼児教育のキャリア10年戦士!愛先生だからこそでしょう。
それでは、最後に帯広葵学園の良さを語ってもらいインタビューを締めたいと思います。
ズバリ!帯広葵学園の良さとは!
「一つは、全力で取り組む運動会の伝統競技のひとつ「竹登り」ですね。登れない子どもも含めて達成感で満ち溢れるんですよ。あとは、年間200冊の絵本の読み聞かせも一つですね。最後は子どもたちの大きな発表の場である「とかち童謡まつり(帯広文化ホール・大ホール)」!葵学園の施設が揃って出演するんです。今も各園が揃って猛練習していると思います。大盛り上がりのイベントです。幼児時代にこれほど大きな舞台で盛りあがる経験はなかなかできないでしょうし、とにかく皆で同じ目標に向かって練習して挑むことだけでも大きな成長なのに、大舞台に立った後の子どもたちの成長度合いは、想像を遥かに超えるんです。それをご両親と一緒に見られる喜びは、最高のやりがいです」
さすがは、やりがい戦士。インタビューの締めくくりは最大級のやりがい経験を隠していました。
愛先生の天職物語はいかがでしたでしょうか。「葵学園」ではいくつかの業種でスタッフを募集中とのこと。気になる方は求人情報をチェックしてください。
やりがい戦士が働いている帯広葵学園は以下から