忙しい毎日やストレスの多い職場で、「頑張らない生き方」に興味を持つ人が増えていますよね。しかし「頑張らない=何もしない」ではありません。むやみに国や会社のせいにして努力を放棄するのではなく、自分らしく伸び伸びと生きるための“適度な頑張り”を見つけることが大切です。「頑張りすぎて疲れてしまった…」という方はもちろん、「頑張らない=サボりと思われそうで不安」という方にも、頑張らない生き方を賢く取り入れつつ、自分を磨く方法を一緒に考えていきましょう。
「頑張り過ぎが当たり前だった私でもできた、自然体で自分にも他者にもやさしい生き方」──いま、こうしたフレーズがネットや雑誌でよく見かけられるようになってきました。もちろん、頑張りすぎて心を病んでしまう人が増えている現代では、肩の力を抜き、ストレスフリーな生活を送ることも大切。
でも、この“頑張らない”が独り歩きしてしまい、「頑張ること=悪いこと」「頑張らない人こそ幸せ」と、一人ひとりの努力を軽視したり、頑張る企業をすぐに“ブラック企業”と呼んだり、果ては「上手くいかないのは、社会が悪い」と制度のせいにしてしまうような風潮が目立ち始めているのは問題だと思いませんか?
まず、私自身も昔は「頑張らないと生きていけない」と思い込んで、誰かと常に競い、寝食を削ってまで突っ走るタイプでした。日本には「頑張ることが美徳」という風潮がありますよね。学校の先生や親御さんに「頑張れ!」と励まされることが多く、小さい頃からその言葉に慣れ親しんできました。「人の役に立つためには頑張ろう」「夢や目標を持ったら頑張ろう」──確かに素晴らしい言葉です。ところが、その“頑張り”が行き過ぎると、どこかで心や体が悲鳴を上げてしまう。
そんなとき、ふと目に飛び込んできたのが「咲こうとして必死に力んでいる花なんてない」という言葉でした。私たち人間だけが、「もっと頑張らなきゃ」「誰々みたいにならなきゃ」と気負って、無理を重ねてしまう。でもチューリップが「バラになるぞ!」なんて意気込むことは決してありませんよね?このたとえが目からウロコで、私は一度「頑張り続けない」練習をはじめてみたのです。
するとどうでしょう。あれほど必死に追い込んでいたときよりも、ずっと生きやすくなり、人間関係もうまくいくようになりました。と同時に痛感したのは、「“頑張らない”と“努力をしない”はぜんぜん別モノだ」ということなんです。
「頑張らない」は、サボるでも開き直るでもありません。頑張り屋さんが、“自分を必要以上に追い込まない”ための心のスタンスであり、いわば「全速力で走り続けない」と決めること。
一方で、本当に何もしないで「人生どうでもいいや」「嫌なことは全部、国や会社が悪いから」と言うのは、ただの諦観(ていかん)や逃避に近い。これは“頑張らない”ではなく、「動かずに棚ボタを期待する生き方」になってしまいます。もちろん、社会や制度の問題を冷静に議論することも大切ですが、自分自身の努力をまるきり放棄していては人生の楽しみも半減してしまうでしょう。
実は哲学の世界でも、「欲望を捨てれば苦しみから解放される」と説くショーペンハウアーの思想がある一方で、ラッセルは「諦めには不屈の希望に根ざすものがある」と語っています。つまり、ただ何もかも投げ出すのではなく、必要な努力と捨てるべき苦しみを上手に分けて考えるということ。「頑張らない」とはイコールで怠惰を肯定するのではなく、“力を抜く”タイミングをうまく見極めて自分を守ることなのです。
私が声を大にして伝えたいのは、「頑張る」こと自体は本当にすばらしいということです。
こうした「頑張り」は私たちに喜びや達成感、そして何よりも“自己肯定感”を与えてくれます。サルトルが「人間は自らが作ったものになる」と言ったように、努力をとおして結果がどうであれ、自分という存在が必ず何かしら変化・成長する。だからこそ、頑張ることは尊いし、誇るべき営みなんです。
ところが「頑張りすぎ」になると、話が違ってくる。必要以上にストイックになり、「頑張らない人が許せない」「人と比べて自分の頑張りが足りないと感じる」など、苦しさばかりが募り、さらに他人への攻撃や自分への否定感が強くなってしまう。その結果、うつ病になるほど追い込まれたり、無理がたたって休職を余儀なくされたりするケースが後を絶ちません。そうならないために、必要なのが“頑張らない生き方”というバランス感覚なのです。
「頑張らなくてはダメ」と幼少期から染みついている人こそ、次のようなポイントを意識してみてください。
「今日だけは疲れているから、家事を休もう」「週末はだらだらして過ごそう」──それでもあなたの価値は下がりません。だらけた時間をちゃんと確保することで、また頑張りたいときにエネルギーが湧いてくるものです。
「頑張る対象を変える」というのは、とても賢い方法です。嫌々ながら無理して取り組むより、好きなことや得意なことを伸ばすほうが圧倒的に成果が出やすく、ストレスも少ない。結果として、その“頑張り”が自分を輝かせてくれます。
どんな職場にも、頑張りがいがある仕事や、やりがいを見つけて楽しそうに取り組む人はいます。その人が一生懸命働いているからといって、すぐに「ブラック企業だ」「過労死するぞ」と決めつけるのは早計かもしれません。それぞれに合った“頑張りの基準”があることを尊重しましょう。
「国が悪いから頑張れない」「会社が悪いから成果が出ない」──たしかに改善すべき社会問題は少なくありませんが、まず自分がどんな生き方をしたいのかを見極めることが先決です。他者や仕組みへの不満を口にする前に、自分のペースで前進できる道を探してみましょう。
私たち人間は、花とは違い“心”がある分だけ、比べること・焦ること・無理をすることで自分を苦しめてしまうことが多い生き物です。でも本来は、チューリップはチューリップとして、バラはバラとして咲くことがそれぞれの輝きなのですよね。
「頑張らない」──それはただのラクやサボりを肯定するものではなく、「自分に余計な負荷をかけすぎない」「やりたいことを自然に楽しむ」という姿勢。 そして「頑張る」──これは「自分がもっと伸びたい」「誰かを喜ばせたい」など、前向きな意欲をカタチにするための尊い行為であり、あなたを磨いてくれる大切なエネルギーです。
だからこそ、大事なのは「力の入れどころ」。頑張りたいときは惜しみなく努力し、くたびれたらひと息つく。“適度な頑張り”を上手にコントロールすれば、心の底から満足できる成果や充実感につながります。
最後に、教師である私からの“宿題”として、一言。
「頑張るって、すごくいいこと。だけど頑張りすぎなくていい自分も、ちゃんと認めましょうね」
皆さんも、どうか自分の心身を大切にしながら、あなたらしい花をのびのびと咲かせてください。それが本当の意味での「頑張らない生き方」──そして、決して努力を否定しない“人間らしい頑張り”なのだと思いますよ。