北海道北部にひっそりと佇む下川町。東京23区と同じほどの広さを誇りながら、その大部分が森林に覆われ、町の人口はわずか3,000人弱。一時は15,555人という最大人口を記録したものの、1980年代には人口減少率が道内ワースト1位にまで。そんな過疎化が進んだ下川町ですが、今では年間30〜40人(人口の約1%)の移住者が集まる町に大変貌。今回、奇跡の町「下川町」の産業活性化支援機構タウンプロモーション推進部で日夜、移住支援に奮闘する立花祐美子さんに、その秘密と彼女の情熱についてインタビューしました。
北海道出身。2児の母。趣味は苔を愛でること。北海道内各地で金融機関や大手メーカー等で勤務。2003年、結婚を機に下川町へ移住。2016年から産業活性化支援機構タウンプロモーション推進部で移住コーディネーターとして活躍中。
「毎年、人口の約1%の30〜40人が移住(転勤や異動ではなく)しているんです」と笑顔で話すのは、下川町の産業活性化支援機構タウンプロモーション推進部の立花祐美子さん。
1901年に開拓された下川町は、120年以上の歴史の中で、林業、鉱山業といった基幹産業を通じて繁栄し、一時は15,555人という最大人口を記録します。ところが、1980年代には人口減少率が道内ワースト1位にまで落ち込むなど、数多くの危機に直面。それでも、町民たちは諦めず、まちを盛り上げようと立ち上がったそう。
とはいえ、まちづくりや地域おこしは、一朝一夕には行きません。まして、観光資源を作るにしても莫大な予算が必要。そこで、下川町がとった手段は、寒さを利用した「アイスキャンドル」の風習化や、中国の旅から持ち帰ったアイデアで生まれた「ミニ万里長城」など、独自の観光資源を生み出し乗り越えてきたんです。
「下川町は、ふるさと納税額だって少ない方なんです。ミニ万里長城も、畑からでる石が至るとことで積み上げられ景観を壊していたのを皆で万里長城として積み上げました。アイスキャンドルも、今でこそ多くの地域でやっていますが、1986年に日本で初めて取り組んだんです。何より下川町では、アイスキャンドルの作り方を冊子化し配布するなど町民一丸となってのアイスキャンドルの制作ができるようハードルを下げ、冬の風物詩として風習化してきたんです」と立花さんが話す通り、下川町の強さは情熱と行動力。これが、今では「しもかわイズム」と呼ばれる精神となりました。
「しもかわイズム」は、困難に直面しても諦めずに挑戦し続ける下川町の象徴。現在では、森林のまち、SDGsのまちとして新たな注目を集めるほど。
そうして、「しもかわイズム」がさらに開花したのが移住政策でした。
ご多分に漏れず、北海道下川町も、人口減少という大きな課題に直面していました。そこで、2016年、首都圏や大都市圏からの移住者誘致を行う実動部隊「タウンプロモーション推進部を設立。
設立してまもなく採用されたのが、立花さんでした。
タウンプロモーション推進部は「総合移住促進」「地域人材バンク」「起業塾」の3つの事業を軸に移住者の呼び込みを開始。
中でも、力を注ぐのが「家」と「仕事」のダブル斡旋です。
「移住検討者には仕事と住まいの相談をセットで受けています。空き家問題の解消や、町内企業との綿密な連携による求職者への支援を同時並行で行っているんです。ところが、下川町には不動産屋がありません。担当者が足を使って情報を集め、家主と交渉し、密にコミュニケーションを取ることで信頼を得て、紹介するのでマッチング率は高いですよ」(立花さん)
立花さんが言う足を使って……。これこそ、まさに“しもかわイズム”。
当然ながら、今でこそ、下川町は毎年純粋な移住者を30-40人ほど迎え入れていますが、すぐに結果がでたわけではありません。
例えば、移住相談を受け、移住希望者が見学ツアーで訪れた際、立花さんと彼女のチームは、移住希望者が町に根を下ろせるよう、保育施設や学校訪問のコーディネートから、日々の暮らしのサポートまで、細やかな支援を惜しみませんでした。
「移住相談者からはしっかりと要望を聞きとり、事前に行程表を作ります。もちろん、訪問先へのアポイントや同行もしています。ここまでする必要はないという声もありましたが、私達には、移住者一人ひとりの不安を取り除き、下川町での新生活を全力でサポートすることしかできないんです」と話します。
立花さんの行動力は、筋金入りのようです。オンラインとオフラインの両方で開催する移住PRイベントは北海道の自治体の中でも群を抜いて多い。そうした、努力が実り、毎年純粋な移住者を30〜40人ほど迎え入れるまでに成長。そしてその中に何世帯もの子育て世帯(30〜40代)が含まれている。この小さな町で、出生時たった十数名だった学年が、今では同級生が倍近くまで増える現象は、まるで小さな奇跡のよう。
「娘が新学期を楽しみにしているんです。『またお友達が増えるかな』って」(立花さん)
結果、タウンプロモーション推進部が直接関わって移住した人数は創設以来200人に達します。これは下川町の全人口の約6.5%以上に相当します。
他にも、下川町の真骨頂として挙げられるプロジェクトがあります。それが「タノシモカフェ」です。
実は、立花さんも20年ほど前に下川町へ移り住んだ移住者でした。そのため彼女は移住者が抱える不安や期待を深く理解しています。
それ以上に、立花さんには忘れられない思い出があり、それが今の原動力に繋がっているという。
「タウンプロモーション推進部のメンバーになってすぐでした。当時は役場に事務所があり、いつものように仕事をしていると、顔見知りの移住者夫婦が幼い子どもを連れて、転出届を出しにきたんです。そして、手続きを終えた3人は手を繋ぎながら、町を去っていきました。仕事や町に馴染めなかったことも理由のひとつだったんです。あの3人の背中は、今でも忘れることはできません」(立花さん)
そして、彼女はすぐに動きます。自治体では予算年度中に新たな事業を動かすことは難しいのが慣例。それでも立花さんは、「予算がないなら、お金がかからないよう飲食物は持ち寄りにして無料で開放できる公共の場を作れば良い」と上司を説得し、「タノシモカフェ」を設立。
「タノシモカフェ」は、町民はもちろんのこと、下川に移住を検討している方も、下川町と繋がりを作りたい方も、気軽にご参加できる月イチ町民交流会。
「もう二度と、あんな思いはせちゃいけないし、したくない。町に馴染めて、町民との交流から仕事や事業創出につながる場にしたい」(立花さん)
そうして、立花さんの想いを具現化しのたがタノシモカフェでした。
立ち上げから8年目。今では多いときには50人ほどが集まり、ぶらっと立ち寄る町民や移住検討者、観光客などが毎月自然と集い交流。新たな事業創発に繋がることも。
タノシモカフェが続くのは、立花さんの熱意もそうですが、ユニークな発想と自由なルールが共感を呼び広がったという。
なぜならば、「タノシモカフェ」には、事前申込はありません。ホームページにある開催日時を見て、その時間に、自分の飲み物や食べ物を持参して参加するだけ。会場では、席のシャッフルタイムがあり、とにかく交流の輪が広がるよう工夫されています。
「大事なことは、毎月やり続けることだと思っています。そして、自由であること。移住者だけが集まっても、地元民だけで集まってもきっとだめなんです。観光客や出張者もひっくるめて、自由に交流できることが大事なんです。閉鎖的という三文字が感じられない空間作りに徹することが私達の役目です」(立花さん)
移住者と地元住民が自由に交流できる場を提供し、町の閉鎖性を打破すること。立花さんの目指すのは、誰もが受け入れられ、新たなつながりを築ける開かれたコミュニティでした。
空港からも遠く、主要都市から陸路でも遠い下川町ですが、移住者が増えたことで、新しい事業を自分で作り出す熱意ある人も増えているといいます。
補助金やふるさと納税に頼れないことで強まったのが、自らの力で解決する実行力と実現力。そうした熱意ある町民の歓迎を受けた移住者たちも、またアグレッシブなメンバーが多い。
「下川町は生まれ育った故郷から離れて、別の地域に移住するIターン者が多いんです。それだけ、よそ者を受け入れる風土があるからですね」(立花さん)
画像:立花さんはじめ多くの移住者が実行委員として関わっている“森ジャム”
これまでの経験と新たな波(アグレッシブな移住者)を受け、タウンプロモーション推進部も変わっていくそうです。「令和6年4月のタイミングで任意団体から新設法人となり、事業が引き継がれ、もっと多くの支援をよりスピーディーに実行できことを期待しています」と話す立花さん。
立花祐美子さんのストーリーは、ただの移住促進活動を超えて、人と人とのつながりを深め、地域全体を活性化させる力を持っていました。間違いないのは、下川町のこれからを、立花さんと共に歩む移住者たちが、新たな章を紡いでいくことでしょう。