東京メトロポリスと海外のステージを経て、故郷・帯広へUターン起業。ここでしか聞けない真剣対談がここに開幕!十勝 帯広出身で東京と海外を舞台に大活躍の大久保航也と北川宏が繰り広げる、起業2年目のリアルな本音と挑戦!二人のダイナミックなエピソードに、きっとあなたも胸が高鳴るはず。さあ、彼らの熱い想いとアドベンチャーを共に体感しよう!
帯広市出身→イタリア→ドイツ→東京→ドイツ→東京→2021年Uターン。帯広緑陽高校卒業後、フットサル選手へ。19歳でイタリアに渡り、選手として活動しながら海外の短大で学業にも励み、国内・海外の複数クラブでプレーした後、23歳で第一線から引退。帰国後は、東京の大手商社繊維部門の会社で外資系ファッションブランドのセールスアソシエイトを経験。その後地元である十勝にUターンし、医療関連の会社での勤務経験を積み、個人としてIT関連や様々な仕事に従事する中、「株式会社ELF」の代表に就任。
帯広市出身→東京13年→バンコク7年→2020年Uターン。大学卒業後、地方新聞、経済誌、月刊誌の記者・編集者(日本)を経て、2013年タイ・バンコクで週刊誌の編集長。20年に本帰国。22年に起業支援会社「合同会社コントレイル」の投資1号案件として投資を受け、同年7月に株式会社スマヒロを設立。
聞き手 : 株式会社スマヒロ ライター 髙島 楓
北川 帯広北高をギリギリで卒業して、函館大学に進学したんだけど、当時は大学ならどこでも良かったくらい劣等生でした。その後、大学のゼミの先生から紹介を受けた企業を反故にして、就職浪人を1年。両親と先生からすれば、本当にいい加減な若者だったと思いますよ。逆に、大久保さんはいきなりイタリアだからすごい!
大久保 実は、高3の冬に北海道内の大学に進学が決まっていたんです。ところが、内定後にダメもとで受けていたプロチームからの入団テストの合格通知が届いたんです。当初は学生とアスリートを両立させていましたが、「プロでやっていくなかで両立は無理だ」と判断し、フットサル選手として専念することを決意。その後は、フットサル選手としての活動以外はバイトで生計を立てる日々を送りました。
北川 18歳の大きな決断ですね。
大久保 挫折はすぐでした。プロとして活動してすぐに怪我をして、周りと差がつき、焦る毎日。そして「今の状況を打破するには、環境を大きく変えるしかない」と思い、両親に「海外に行きたい」と告白します。もちろん、英語なんてできません。
振り返れば無謀な挑戦だったなと思いますよ。聞き入れてくれた親に感謝しかありません。そうして、フットボール文化が深いイタリアを選び、単身イタリアへ向かったんです。僕は10代の挫折と決断です。北川さんは就職浪人で悶々としたんですよね。
北川 そうそう。1年間の無謀な公務員試験を受け、全敗。父は「勉強もしていないのに受かるはずがない」と思っていたらしいけど、1年間は黙って見ていてくれたようです。
そんなとき、ダメな僕を見かねた叔父(父の弟)が「東京なら仕事があるからきてみたら」と声をかけられ、上京します。叔父は軽い気持ちで言ってくれたのかもしれませんが、それが私のターニングポイントとなったことは確か。上京後、すぐに仕事が決まり、建設業界紙の記者として社会人人生を歩むことになります。
大久保 そこから編集者人生がはじまったんですね。
北川 業界紙の記者としてガムシャラに取材に明け暮れました。終電を逃したり、会社に寝泊まりの毎日が3年ほど続いたかな。それでも、取材することで新しい人や情報に出会える毎日は、多忙でも楽しかったんだと思います。
その後は、一般の人が読む記事を書きたくて、業界紙から地方新聞へ、北海道に住む両親に記事を見てもらいたくて全国で販売している経済誌の記者へと転職。最後は「もっと売れている雑誌を作りたい」と中堅出版社に入り、そこで挫折して海外へ逃亡したんです。
大久保 逃亡ではなく、自分で選んだんですよね。
北川 もちろん!そこで、タイの情報誌の編集長を経験。ライフワークのように東南アジアを駆け巡り、15人ほどの編集部のマネジメントも経験できました。東京の13年間で、そこそこ経験を積んだと思っていたけど、海外はまったく別物でした。たくさんの取材を通して、見たことのない景色を見て、多くの方々と出会いました。7年間で考え方も180度、変わったと思います。
気づけば社会人人生も20年となり、新たな決断が本帰国でした。もともと、娘が小学校に上がる前には日本に戻ろうと思っていた中で、奇跡的にふるさと十勝の会社に入社が決まり「これを逃したら帯広に戻ることはない」と決断。大学時代を入れると通算24年ぶりのUターンでした。大久保くんはイタリアからはどうやってUターンしたの?
大久保 僕は、サッカーを始めた経緯にもなった憧れの選手がいました。それが内田篤人選手です。内田選手に憧れを懐き続け「いつか自分もドイツでプレーするんだ」と思っていたんです。その気持はイタリアに渡った頃から強まり、機会があればと願っていると、所属していたイタリアのクラブにドイツのスカウトが来たんです。
そして、運よくそのスカウトの方の目に止まり、翌年の2017年にはドイツに渡航できるチャンスを頂き、ドイツブンデスリーガーの名門クラブ〝カールスルーエ〟というクラブの練習に参加することとなります。当時、日本代表で現ジュビロ磐田10番、山田大記選手も所属していました。山田選手には優しく接してもらい今でも感謝しています。
北川 すごい!願いは叶うことの証明だね
大久保 続きがあるんで聞いてください。ただし、練習に参加した結果は不合格だったんです。
北川 なるほど。なんだか興奮してすいません。
大久保 いえいえ、それも実力ですから。不合格後は、チームが決まらず途方にくれていた時です。日本の関東のクラブから声をかけてもらい、東京生活がはじまるんですが、2019年には再びドイツへ行くチャンスを頂き、現日本代表の田中碧選手が所属しているF95デュッセルドルフのフットサルチームへ行くこととなります。
ところが、人生はそう上手くはいかないようで、プレシーズンの帯同を経て、契約の話もありましたが外国人枠の関係ですぐには契約できないということで帰国へ。
北川 海外と日本を行ったりきたり、ジェットコースターのようですね
大久保 もちろん、モチベーションも下がりましたよ。それでも諦めず、プロリーグのクラブ入団テストを2020年に受け合格したものの、コロナの影響でその話はなくなり断念。ここまでくると挫折というより、何が正解かもわからない状態ですよ。それでも、すぐに名門・東京ヴェルディから声をかけられ入団。
ただ、僕の人生に試練は付きものですよね。
入団して早々に左足首の靱帯損傷、高校時代に発症した腰椎分離症の再発したことで、長期離脱を余儀なくされました。結果、シーズン公式戦で出場はたった8試合。セカンドキャリアを真剣に考え、プロ選手としては第一線から退くことを決断。東京で一般企業で働きはじめて半年ほどたった頃です。選手時代にお世話になったスポンサー企業の会長から「ふるさと十勝でこれまでの経験を生かさないか」と声をかけれUターンを決めました。
北川 数年間で何度も人生の道筋が点いては消えを繰り返したんですね。まさに波乱万丈!
北川 きっかけは、現在、大久保社長も参加している「とかち・イノベーション・プログラム(TIP)」です。事務局を務めていた同級生から誘われ、プログラムを受講するなかで気づけば事業を発表するまでに。もちろん、真剣に取り組みながら、「自分が起業するならこれをしたい」と強い意志を持って挑みましたよ。
大久保 最初は起業する気はなかったということですか?
北川 タイから本帰国Uターンする際に「会社員で成長するか、ダメなら次は起業かな」と漠然とは考えていましたよ。編集者として20年のキャリアを生かせば、絶対にふるさと十勝の役に立つだろうという自信もありました。
TIPへの参加が「次は起業」という、もう一つの選択肢を近づけた感じかな。それと、TIPでの事業発表後に起業支援会社「合同会社コントレイル」から声をかけられたことで、加速度的に起業が近づいたんです。それが2022年の春です。そこからはもう起業準備ばかりを考え、進めていました。
大久保 どんな準備ですか?
北川 サラリーマンが長かったので、リスクをできるだけ排除しながら、堅実・着実に経営できるよう考え抜いたね。もちろん、コントレイルや金融機関、そして経営者の先輩たちの的確なアドバイスも大きかったですよ。会社設立後には、すぐに売上が上がるよう、根回しをしていました。とにかく、家族を養えるよう、起業後もしっかりと家にお金を入れられる準備かな。妻との起業する際の約束が「サラリーマン時代と同じくらいの給与を家にいれる」でしたから。大久保くんは勢いがすごいよね。
大久保 僕の場合は、いつか起業や個人事業をしたいなと密かに20歳くらいから考えていました。
アスリート時代も、沢山本や動画でビジネスマインドを独学し、起業のイメージや将来こんな風になりたいといった人生設計やアイデアをノートに沢山書いていました。いま読み返しすと恥ずかしい言葉ばかり羅列されていますよ。
実は、僕もUターンして半年後くらいに北川さんも参加された、LAND(十勝財団)さんが実施しているo-kisouという事業相談に参加したんです。「十勝にスポーツアリーナを作る」という膨大な計画をプレゼンしたのですが、見事に玉砕でした……。
でもその経験があるから今があります。そこからアスリート時代にお世話になった企業の社長やいろんな方に〝僕はこんなことがやりたいです〟とひたすらプレゼンやピッチをして回りました。それがきっかけで「飲食店の経営をしないか」と声をかけられ、挑戦することにしたのが起業の経緯です。
北川 大久保さんの人柄だよね。頑張っている人は応援したくなるし、大久保さんの経験が尊いことを知ってくださる方々がいるってことだよね。
大久保 本当に感謝しかありません。今でもそうですが、起業の時も資金的な部分や事業を応援してくれる方が多くて、銀行からも無融資でスタートすることができました。今も昔も本当に周りの方々には恵まれていて感謝しかないです。
日本でも起業時の平均年齢は上昇傾向にあります。 日本政策金融公庫の「2021年度新規開業実態調査」によると、開業時の年齢は40歳代の割合が最も高く36.9%。 30歳代が30.7%。開業時の平均年齢は43.7歳です。ちなみに、10年前の2011年度では、40歳代が28.4歳、30歳代は39.2歳と圧倒的に30歳代が多かったんです。日本政策金融公庫の「2021年度新規開業実態調査」
北川 正直、「自分の好きなメディア媒体を作りたい」からかな。これまでも、編集長を経験して、ある程度は好きなことができたけど、経営者の判断も大きくて、すべてが自分の思い通りには行かなかったこともあるしね。「いずれは自分の力で媒体作りたい」と思っていたことも事実です。あとは、家族もいるし「稼いでゆとりのある生活もしたい」という「稼ぐ」ことへの意識も強いです。新婚時代にお金がなくて、妻に辛い思いもさせたことも原動力かな。「自分の経験を生かして十勝の課題を解決させながらしっかりとお金も稼ぐ」という感じでしょうか。
大久保 十勝出身である以上、十勝愛も強いですし、十勝を一度離れて戻ってきたからこそできること、やれることがあるんじゃないかとずっと思っていました。スポーツで地域の課題を解決し、スポーツの価値を上げることがミッションと考えています。僕自身今年、結婚もして家族を養っていかなきゃいけない立場なので勿論、稼ぐという部分も考えています。個人としては十勝に必要とされる人材・組織になるという想い、目標も強いです。
起業したい人の理由は「お金を稼ぎたいから」がダントツ。起業する理由については、1位「お金を稼ぎたい」(36.7%)、2位「ビジネスに関心がある」(23.4%)、3位「学んだこと・スキルを活かしたい」(21.5%)と続き、「社会課題を解決したい」(12.5%)は4位でした。2022年起業家アンケート(20-40代)
北川 僕の場合は、「十勝(地方)の課題をメディアの力で解決する」というビジョンがあって、最初の課題を「人材不足」にしたことで、有料職業紹介の免許取得のための条件である資本金500万円と当面の運転資金。人材マッチングシステムの開発費を集めましたね。融資や自己資金も入れて1,000万円以上が必要でした。
大久保 僕の場合は、共同出資の形で4名で450万円、これに補助金等も利用して事業開始に至りました。
起業する際は、株式会社で350万円~400万円、合同会社で50万円~300万円ほど資金を用意する必要があります。近年、資本金を少額に抑えて会社を設立するケースも増えてはいますが、法人としての信用を得たり、資金繰りを円滑にするためには、ある程度まとまった資金を用意しておくのが理想です。Wiz Cloud
北川 株式会社スマヒロは「圧倒的におもしろいメディアが十勝(地方)を救う」というコンセプトのもと、デジタルメディアの力で十勝のあらゆる課題を解決する会社です。また、スマヒロは、メディア会社として情報(information)を発信し続けながら、最新の技術(technology)と掛け合わせることで、今までのIT会社とは一線を画す、新しいIT(Information technology)メディア企業を目指しています。事業としては以下です。
北川 求人マッチングサイトである「TCRU」は、この記事が載っているサイトなので説明はいりませんね。
十勝のWebメディア「スマヒロ」は、広告媒体ではなく、十勝の企業と人のための情報媒体です。スマヒロには十勝のためになる、ヒト(インタビュー)、コト(イベント・まつり)、モノ(食や商品)などあらゆる情報を載せます。
事件・事故や政治・行政批判は一切載せません。日本に帰ってきて最も残念だったのが、誹謗中傷・批判や悪口を評論家にでもなったかのようにSNSやグルメサイトなどに載せている点でした。言論の自由は、好き勝手に言葉や文章にして伝えることではないと思うんです。
大久保 北川さんが熱くなるの珍しいです。でも海外と日本の違いはそこにあるかもしれないですね。海外とのギャップで一つあったのは「日本人ってコソコソしてるな〜」と思うことがあります。誹謗中傷もそうですね。好き勝手に物事言って自分は匿名で顔出しもせず、無責任。
陰口もそうです。海外で大切だなと感じて学びだったのは「思ってることを素直に相手に伝えることや自分なりの意見をもち、周りに悪い意味で流されないこと」でした。日本人の協調性は良い部分もそうじゃない部分もあると思えるのは海外のマインドがあるからかもしれません。
北川 共感ありがとうございます。大久保さんとの共通点は、やはり海外で働いた経験ですよね。留学では得られない海外の社会を知れたことが大きいよね。すいません。事業の話から頓挫しちゃいました。気を取り直して大久保さんの事業を教えてください。
大久保 当社は、大きく分けて3つの事業展開です。ELFというのはドイツ語で11という意味で、7つの事業と3つのユニットで地域に貢献するという意味が込められています。
大久保 スポーツを中心に幅広く事業に携わらせていただいております。様々な企業とパートナーシップも組ませて頂きながらそのご縁で事業を生み出し地域貢献を目指しています。
北川 本帰国して3年。起業して1年。「感謝」の気持ちがすぐに出るようになりました。それくらい、支えてもらったり、今も家族や社員、友人・知人、投資家、協力者などなど、多くの人に支えてもらえているからこそ、今があります。だから頑張れるのも事実です。
Uターンしたときに描いた「20年間のキャリアをすべて十勝のために費やす」という想いはいまも消えていません。むしろ、炎は大きくなるばかり。先ずはTCRU(ティクル)で十勝の人材不足を減らしつつ、Webメディア「スマヒロ」を、十勝に住む人達の便利な情報源にしたいと思っています。「ねえねえ、スマヒロ見た?」「スマヒロに書いてあったねえ」「TCRUで仕事がみつかった」「TCRUを見て移住しました」という言葉を聞けるように精進します。
大久保 先ずはこのような対談企画を組んでくださりありがとうございました。
今は原点に立ち返り、スポーツという部分で地方創生を叶えるため今一度事業を整理して、進んでいきたいと考えています。まだまだ僕自身ができることは少ないですが、スポーツ業界にもイノベーションを起こせるような存在になりたいと考えています。新たに自治体さんと町おこし事業も取り組ませてもらっている中で、今後の目標やアクションプランも見えてきました。丁寧に一つ一つ実績を積み重ねて地域の皆さまに信用してもらえるよう努力を重ねてまいります。
先ずは今代表を務める、ソルプレーサ十勝というクラブを大きくして十勝の方々に応援してもらえるように頑張っていきます!