十勝に移住した人を「十勝移住物語」として紹介します。“挑戦”の二文字を大事に、素敵な田舎暮らしを実践する家族を紹介します。2018年に東京から北海道中札内村へ地方移住した梶山智大さん・千裕さん夫妻は、移住から2年で互いのキャリアを生かして起業。株式会社AOILOを立ち上げ、目下奮闘中です。
夫の智大さんは、JR東海で「リニア中央新幹線(2027年開業予定)」の車両開発に携わり、妻の千裕さんは、都内のワイン輸入商社で、現地での買い付けやワイナリーを訪問し、生産者の声を消費者に届けるブランディングを担当。まずは2人のプロフィールを紹介しましょう。
夫の智大さんは静岡県出身で沼津工業高等専門学校(高専)に入学し、機械工学を学んだ後に大学(工学部)へ編入。大学院では機械システムを専攻していました。卒業後は父親が大手企業に勤めていたこともあり、東海旅客鉄道(JR東海)に入社。「当時は、大手企業であれば大きなビジネスに携われると思っていたから決めました。ご存知の通り、JR東海は日本の将来の大動脈となるリニア中央新幹線を開発していました。国家プロジェクトに携われるというキーワードは、入社を決める大きな要因になりましたよ」。
入社後は技術畑の道を歩み、新幹線のメンテナンスを経験。その後は、リニア中央新幹線の実用試験をしていた山梨リニア実験線へ。入社から5年後にはリニア新幹線の車両設計を担う部署へ配属されるというまさにエリートコース。
一方で、奥様の千裕さんは、神奈川県横須賀市に生まれ、中学・高校は横浜、大学が東京という経歴です。専攻は美術史学で欧州文化に興味を持ち、中でも食文化に魅力を感じたことがきっかけで、卒業後は食品専門商社に入社しました。「商社では、1年目に都内百貨店に出店する直営店に配属。すぐにチーズやワインなど欧州の食文化を担当できたことで、入社当初から“やりがい”を感じさせて頂きました。2年目には、銀座三越店に新規出店するチーズ売り場に移動し、半年後には店長として店舗運営を任されました」。
そして、千裕さんが新たな道へと進むきっかけとなったのが、チーズ売り場にあったフランスのMOF(国家最優秀職人章)が作る最高級のチーズでした。「もっと本場のチーズや食文化に触れ学びたい」とチーズプロフェッショナルの資格を取得し、単身渡仏。現地の料理学校やホームステイを通じ、現地の食文化の豊かさ、楽しさを学ぶ貴重な経験を積みます。
順風満帆にキャリアを積み上げた2人が出会い、結婚。家族を持つことで2人の人生に変化の兆しが現れてきます。そして、「北海道へ移住したい」と口に出したのは智大さんでした。そんなとき千裕さんは……。
結婚後に意識に変化が生じたのは、智大さんの方でした。
「家族単位で人生のキャリアを考えるようになりました。子どもの将来も意識することで思考は深まるばかり。自問自答を繰り返す中で10年、20年後を描いたときに、仕事と生活は切り離せないという結論に至ったんです」(智大さん)
JR東海の会社員である以上、転勤・異動は避けられません。自分の意志とは別の意思で環境が変化する中で、「家族との時間は取れるだろうか。一緒にいられる時間が減るのは嫌だ」と悩んだ末に至った結論が「自分にとって何が一番大事なのか」。その答えが「家族」でした。
しかし、当時の千裕さんは、フランスから帰国後に入社した商社のワイン事業部で、インポーターとして海外のワイン生産者からワインを仕入れて日本国内に輸入し、消費者に提供するというミッションに力を注いでいました。JSA認定ソムリエの資格を取得し、キャリアアップも図っている最中です。
「なんとなく夫の変化には気づいていました。当時は毎週のようにキャンプへ行っていたのですが、互いにいつも感じていたのが都心へ戻る際の渋滞です。会話でも渋滞は本当に嫌ね。いっそ地方に移住したいとよく話していたので、地方移住を考えているんだろうなとは感じていましたよ」(千裕さん)
そして、智大さんが動きます。
実は、智大さんの中で地方移住先は決まっていまいました。
「幼少期に父の転勤で数年だけ北海道に住んでいたことがあるんです。そのときの雄大な北海道の景色や環境に憧れて、都心に住みながらもよくキャンプにでかけていました。中でも、道東の風景が大好きで、地方移住するなら道東と決めていました。キャンプに行くたびに、そんな想いは強まり、2017年の年末に意を決して妻に『北海道に移住したい』と告白したんです」(智大さん)。
それを聞いて千裕さんは「移住には賛成でしたが、生半可な気持ちではいけないと思ったので、まずは私を納得させるプレゼンテーションをしてくださいと回答しました」。
その後、智大さんは何度も現地調査を開始。何度も足を運んでは妻を納得させるための魅力を集めます。そんな中で、十勝帯広空港からほど近い中札内村で見たのが、本州にはない、巨大な畑が連なるパッチワークのような十勝平野とその奥にそびえる壮大な日高山脈の風景でした。「まさに私が求めていた北海道のイメージそのものでした」と智大さん。
いよいよ、奥様へのプレゼンです。結果は……。
「OKでした。本当はプレゼンよりも先に、智大さんが十勝へ行くたびに中札内村の良さを聞いていたので、すぐに行ってみたいと思い、同行していたんです。すると十勝には、生産者の息吹を身近に感じられるだけでだく、日常的に生の声を聞けるほど生産者との距離が近いんです。インポーターとして足りないと感じていた生産者のリアルを伝えることができると確信できました。しかも、十勝には私が学んできたチーズとワインの生産体制も整っていたので、これ以上の場所はないと感じたのもきっかけですね」と千裕さん。
2018年、二人は念願の十勝・中札内村に移住します。仕事は「地域おこし協力隊」。肩書は「中札内村の観光振興プロデューサー」でミッションは「村ではできないことをやってほしい」でした。
「本当に良い条件でした。それまでは生産者の声を聞き、消費者に届けたいというのが私の想いでしたが、「観光」というミッションが加わることで消費者が現地に来るきっかけとなる伝道師になろうと新しい目標もできました」と千裕さん。
智大さんが着手したのは観光資源の開発でした。
きっかけは、雪が積もる庭先でふと振り返ったときの足跡。「これ生かせないかな」との直感から、見よう見まねで雪原に足跡で絵を描いてみると、思いのほか上手に描けます。まさにJR東海時代の設計経験が生きました。
完成したスノーアートをドローンで撮影してYou Tubeで流すとすぐに評判となり、あっという間に「スノーアートヴィレッジ中札内」というイベントにまで発展。智大さんの新たな肩書「スノーアーティスト」の誕生です。
二人が携わったイベントは、スノーアートだけに留まりません。
中札内村の桜の名所「中札内村桜六花公園」。ここは毎年5月上旬に六花亭製菓から寄贈された約1000本の蝦夷山桜が一斉に咲き誇る公園。設置された展望台から眺めると桜の木越しに広がる雄大な十勝平野を望める絶景スポットです。
「こんな観光資源を活用しないわけにはいきませんよね」と二人は、桜六花公園を会場に、「FETE de SAKURA Nakasatsunai / 中札内村 桜のある休日」を開催。花より団子ではありませんが、中札内村や十勝の人気グルメを提供するキッチンカーを呼んだり、Jazzコンサートを開き、大人の雰囲気のなかでワインと十勝産チーズが楽しめるバーも作りました。夜には桜のライトアップも楽しめます。人口4000人の村に5000人が訪れたそうです。
地域おこし協力隊として、次々に打ち出す観光施策。協力隊としての期限は3年。二人がおこした次のアクションは起業でした。
智大さんは当時をこう振り返ります。
「観光振興プロデューサーとして、地域のために何ができるのかを常に考え、中札内村を盛り上げることに奮闘する中で、人の笑顔を見られること、人に喜ばれること、人の役に立つこと。それらをリアルな距離感で感じられた2年半でした。そこで思ったのが、たくさんの人のため、地域のために創造する人(立場)となり、それらを大きく広げていきたいという思いでした。そして、具現化したのが2020年12月10日に設立した株式会社AOILOです」。
AOILOは、主にアウトドア・フード・ワインの3つの事業を展開しています。アウトドア事業は、中札内村から指定管理者としてキャンプ場「札内川園地」を運営。キャンプ場内には、建築家の隈研吾氏とアウトドアギアメーカーのスノーピークが作ったモバイルハウス「住箱」もあるので、テントで泊まるのが苦手な女性に人気だそう。
札内川園地キャンプ場は北海道十勝の中札内村(なかさつないむら)、日高山脈襟裳国定公園内にあります。キャンプ場内には清流日本一に選ばれた札内川が流れ、場内にある清流が10メートルの落差で豪快に流れ落ちる「ピョウタンの滝」は、雄大な自然を求める観光客に人気のスポット。
一歩足を踏み入れると広大な敷地が広がり、テントサイトやバンガロー、モバイルハウス“住箱”が揃い、ソロキャンプから家族や大人数でも宿泊できます。アクティビティもいっぱい。滝から流れ落ちた清流の河原で遊んだり、ゆっくりと遊歩道を散策したり、アスレチックやテニス、サイクリングなど大自然を遊び尽くせます。
「明かりをつければクワガタが寄ってきますし、釣りを楽しんだり、自然のなかでゆったりと本を読みながら過ごすのもよいですね。小さいですがステージもあるので、小規模なフェスも開催できます。AOILOが運営するキッチンカーが出店しているので、生ビールも楽しめますよ」と智大さん
札内川園地キャンプ場の最大の売りは「真夜中の星空が綺麗すぎるのでご注意を」と言われるほどの星空。夜空を見上げずとも、視界に入る満天の星空は「十勝晴れ」と言われるほどカラッとした晴天の日が多く、星も美しく見える十勝ならでは。夏の夜は天の川もはっきり見えるそうです。
フード事業ではローストチキンの製造を開始。中札内村の特産品である銘柄鶏「中札内田舎どり」の生の丸鶏を、村内の工場から鮮度の高い状態で直接仕入れて、一羽ずつ丁寧に「一鶏入魂」。
「仕入れ後、速やかにかつ丁寧に一羽丸ごと特製の味付けで仕込むんです。添加物は一切使用していません!作り方としては、一晩冷蔵庫で寝かせ、十分に味を浸み込ませます。ロティサリーの本場ヨーロッパ製のローストチキン専用オーブンでじっくりと時間をかけて焼き上げています。仕入れから出荷まで冷凍はせず、新鮮な美味しさをそのままお届けできるんです」と智大さん
「3つ目は私が主体の事業です」と千裕さんが話す通り、2022年4月。美しい農村風景が広がる中札内村にワインのお店「LE BLEU(ル・ブルー)」がオープン。イタリアやフランスワインを中心に約80種類ほど取り揃えています。主に扱うのは中小規模の家族経営のワイナリー。それぞれの情熱とこだわりをもって、丁寧に手間を惜しまず作られたワインは、個性豊かなラベルや開けた瞬間から作り手のメッセージが伝わってきます。何より、ワインに合わせた北海道産チーズや前述のローストチキンなどワインにあうフードも充実している点がAOILOの強み。
「フランスで、ワインとは対をなすチーズも勉強して、チーズプロフェッショナルの資格も取得してよかったです」(千裕さん)
最後に智大さんのスノーアーティストとしての活躍を紹介します。
「週刊ヤングジャンプ」(集英社刊)で、2014年より好評連載中だった『ゴールデンカムイ』(野田サトル・著)が、22年4月28日(木)発売の22・23合併号をもって完結。これを記念して、物語の舞台である北海道(中札内村)の雪原にアシリパと杉元を描いたスノーアートを作った智大さん。作品を収録したWEB動画が公開されると同時に東京の新宿駅に巨大なアート広告が飾られ、SNSで瞬く間に話題に。
「北海道の大自然の雄大さを感じとってもらえればと思い制作しました」(智大さん)
二人の挑戦ははじまったばかり。北海道十勝の中札内村は、住みやすさだけではなく、“挑戦”できる環境であること、人が生きる上で大切な心のゆとりを得られる場所であることを二人が証明してくれています。
都会の大企業で、それが当たり前と思っていた価値観や仕組み。人が生きる上でそれが全てではないと気づかせてくれるのが十勝です。皆さんも新たな生き方を実現してみませんか。
静岡県出身。信州大学大学院工学系研究科機械システム工学専攻を修了後、JR東海に入社。リニア中央新幹線の車両開発・設計を担当。2018年10月より地域おこし協力隊として北海道中札内村に移住。スノーアーティストとして活動をしながら、地域イベント「スノーアートヴィレッジなかさつない」の開催・運営に尽力する。2020年に株式会社AOILOを設立し、現在はキャンプ場の運営のほか、ワインと北海道産チーズ、フードのショップ「LE BLEU Hokkaido」の運営、中札内田舎どりのローストチキンのEC販売など、北海道の豊かな自然と大地の恵みを生かした事業を展開している。
神奈川県出身。早稲田大学第一文学部にて美術史学を専攻し、食品輸入商社に入社。2012年に渡仏し、リヨンのポールボキューズ料理学校へ料理留学。2018年に夫と中札内村へ移住。地域おこし協力隊を経て、夫が創業したAOILOに入社。チーズプロフェッショナル、ソムリエの資格を有し、現在は中札内村のワインショップ「LE BLEU」の責任者としてワインとチーズの楽しみ方を伝えている。 BLEU Hokkaido」の運営、中札内田舎どりのローストチキンのEC販売など、北海道の豊かな自然と大地の恵みを生かした事業を展開している。