「約20年働いたスーパーを辞めて、1週間後にはこの牧場で働いていました。私、そのとき離婚したてのバツイチで、40歳で転機を迎えたんですよね」と、インタビューのっけから予想だにしなかったお言葉が……。そこに悲壮感など微塵もなく、バイタリティの化身のようにハツラツと、ユーモアを交えながら「東瓜幕協和生産組合」でのセカンドキャリアを語ってくれた水越千咲子さん。女性の人生、いろいろ咲き乱れるものとは聞きますけどーーー? 都会っ子がようやく手に入れた“夢の田舎暮らし”とは。じっくりと深堀りさせてもらいます(TCRU編集部)
農事組合法人「東瓜幕協和生産組合 (ひがしうりまくきょうわせいさんくみあい)」
昭和38(1963)年の創業以来、十勝北西部の鹿追町で60年以上にわたり安全で栄養豊富で生乳を生産する酪農専業農家。わずか2頭から牧場を始めるも、栄養価の高いエサを作るため「よい土」「よい牧草」にこだわり、現在では約780頭を飼育。アプリケーションによる個体の健康管理など先端技術も取り入れた運営を行う。2000年には6次産業化に先駆け牧場カフェ「カントリーホーム風景」を開業。看板商品「草原のヨーグルト でーでーぽっぽ」は全国の百貨店やホテルなど取り扱い多数。
「田舎暮らしが不便なのは承知のうえでしたし、それを遥かに上回る楽しさがあります」。こう語るのは十勝・鹿追町に移住して約2年、札幌市出身の水越さんです。同じ北海道内とはいえ、札幌のような大都市と大雪山の麓に広がる酪農のまち・鹿追町では生活環境も大きく異なるもの。それでも慣れ親しんだ故郷を離れたのにはこんな理由がありました。
「札幌のマンション育ちの私には、子どもの頃から『自然に囲まれた環境で暮らしてみたい』という想いがずっと燻っていました。もちろん都市部での暮らしは便利だし、とても安定しています。でも、40歳という人生の一つの節目を迎えるにつれ、『仕事もプライベートも、このままで本当に自分は幸せなのだろうか』という漠然とした違和感を抱くようになったんです。
もともと、ドライブや温泉めぐりが好きだったので、どこか道内の田舎にある牧場で働けたら素敵だろうなとは思っていました。そこで農業・酪農専門の求人サイトをのぞいてみると、いずれも『経験不問』とあるものの、『年齢制限』があることに気がついて。当時39歳だったので、これは挑戦するなら今がラストチャンスだぞと自分を奮い立たせ、すぐに面接を予約しました」(水越さん)
当初はひとつの牧場にのみ従事する正社員のほか、いわゆる「酪農ヘルパー」としての働き方も検討していたという水越さん。一口に「酪農家」と言っても、一人ひとりのワーク・ライフ・バランスに応じて活躍の場はさまざま。多様な選択肢の中から選べる時代に突入しています。
「この牧場を初めて訪れたときに牛を見せてもらって、純粋にかわいいと思えたんです。『酪農ヘルパー』としての働き方にも惹かれていましたが、ひとつの場所で働くメリットはその牧場の牛たちに愛情を持って、最後まで成長を見届けられること。前の職場でも約20年の勤続実績がありますから、社長にも『定年まで働かせてもらうつもりです!』って宣言しています(笑)」
鹿追町内では比較的大規模な牧場に分類される「東瓜幕協和生産組合」。作業ごとに仔牛の哺乳・育成、ミルキングパーラーと呼ばれる設備での搾乳、牧草管理や機械作業がメインの畑作の3チームに分かれ、それぞれのスケジュールで業務を行っています。それでは、水越さんが所属する搾乳チームの1日の流れを紹介しましょう。
4:30 起床4:40 出勤後、牛舎の準備
5:30 朝の搾乳スタート
8:00 搾乳終了~牛舎の掃除
8:30 スタッフミーティング
9:00 ミルカーなどの設備点検
11:00 昼休憩(寮に帰宅)
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15:00 再び出社・搾乳準備
16:00 午後の搾乳スタート
19:00 搾乳終了~片付け19:15 退勤
季節や天候によって多少時間帯に変動はあるものの、早朝と夕方1日2回の搾乳や体調管理、牛舎の清掃などのルーティン業務を1年365日欠かさず行っています。特に冬場には氷点下20℃にもなる十勝での牧場仕事、想像しただけでも大変そうです……。
「寒さの面では札幌と大差ないので慣れっこです。一見、酪農の仕事は時間に追われていたり、毎日代わり映えしない作業の繰り返しだと思われるかもしれません。牛は規則性をもつ生き物のため、毎日一定の時間に決まった作業をするのは事実です。でも、牛にだって体調がいい日もあればそうでない日もあって、ずっと同じ状態でいられるわけじゃないんです。病気やケガ、分娩など牛たちの健康と向き合うのが仕事ですから、その分やりがいも大きくなります」
ちなみに、休日については月初めにスタッフ間で話し合いシフトの調整をしているそう。うまく有給休暇と合わせれば長期休暇を取ることもできるため、帰省や遠出の旅行も可能。前職と比べても、さほど違いはないと言います。
「むしろ町内にある公営住宅から通っているので、以前の職場よりも通勤時間が減り楽になりました。通勤途中の景色も季節によってさまざま変化しますし、見飽きることがありません。いまだに日々、知らなかった十勝の魅力を発見しているところです」
「面接で牧場を訪れた日から今日まで、牛をかわいいと思う気持ちに変わりはないですね。現在、牧場全体には哺乳・育成チームが世話する仔牛を含めて約780頭がいます。それぞれ違う愛嬌があり、私に懐いてくれる子もいるし、反抗期ですかっていうくらいツンツンしてる子もいるんですよ。少しずつ業務に慣れて、そういった個性にも目が向けられるようになりました」
休みの日でも牛たちの様子が気になり、「どうしてるかな……」と考えるようになってしまったという水越さん。農作業用トラクターなどを運転できる大型特殊免許を取得したことでさらに業務の幅も広がり、さらに牛と向き合う仕事が楽しくなったと続けます。
「いわゆる“ダイトク”と呼ばれる大型特殊免許があると、牛舎に敷く寝藁(ねわら)や飼料の運搬、重機を使った掃除などができるようになります。バックヤードの作業になりますが、これも牛の健康管理に欠かせない大切な仕事。取得のための費用は会社が負担してくれました。これから酪農業界を目指す方にも、取得の検討をおすすめします」
業界全体を通じて高齢化や後継者の減少に悩まされ、人材が足りているとは言いがたい状況が続く今。だからこそ、「東瓜幕協和生産組合」ではアプリケーションなどを駆使し、現場の作業効率と安全性を高める工夫にも積極的に取り組んでいると言います。
「どのスタッフも口を揃えて言うことですが、我々のような新規就農者は特に業務マニュアルに沿った作業を意識しています。経験豊富なベテランさんが減ってきた分、まずは基本のマニュアルを守ることで現場でのリスクを抑え、安全に作業ができると思います。自分の判断で動けるようになるのはきちんと“型”を身に着けてからです。
また、スタッフ同士のコミュニケーションが必要な職場なので、日頃から社長や奥さんがよく飲み会などに誘ってくれます。私のように地元出身ではないスタッフにとっては、地域を知る機会にもなるのでありがたいですね」
改めて、「水越さんにとっての、田舎暮らしの魅力とは?」と問いかけてみると……。
「ほかの仕事と比べると決して休みが多いわけではないし、気力や体力を要するハードな面もあるかもしれません。でも、牛や自然と接しているせいか、次の日まで尾を引くようなぐったりとした疲労感や、精神的なストレスを感じることがなくなりました。これは都会で働いていたころには感じられなかった、嬉しい収穫です。
あとはやはり、動物が好きな人にぴったりの職場だと思います。短期間のお試し就労もできますので、少しでも酪農に興味があるなら、扉を叩いてみることをおすすめします」
1982年、札幌市出身。農事組合法人「東瓜幕協和生産組合」の搾乳チームで活躍中の頼れる大型新人。地元の高校・調理師専門学校を卒業後は、同市内のホテルや医療機関にて調理師として勤務。その後スーパーマーケットに転職し、精肉コーナーやベーカリーなどの部門を渡り歩きながら約20年勤務する。幼い頃からの憧れだった“田舎暮らし”を叶えるため、40歳にして酪農業界へ。目下、マニュアル車の運転免許取得を検討中。