「こんなに屈託のない笑顔で、仕事を語れるって素敵だな」。筆者にそう思わせてくれたこの記事のヒロイン・東敦子さんは、北海道は大雪山の麓に広がる「東瓜幕協和生産組合」で生後約2ヵ月までの仔牛のお世話を担当する牧場スタッフです。温暖なリゾート地をこよなく愛し、酪農とは無縁の人生を歩んできた東さん。どんな人生の転機を経て、“酪農女子”となりツナギに袖を通すことになったのでしょうか。自ら雇用の延長を嘆願したというほどのめり込んでいる仕事の魅力とは。(TCRU編集部)
農事組合法人「東瓜幕協和生産組合 (ひがしうりまくきょうわせいさんくみあい)」
昭和38(1963)年の創業以来、十勝北西部の鹿追町で60年以上にわたり安全で栄養豊富で生乳を生産する酪農専業農家。わずか2頭から牧場を始めるも、栄養価の高いエサを作るため「よい土」「よい牧草」にこだわり、現在では約780頭を飼育。アプリケーションによる個体の健康管理など先端技術も取り入れた運営を行う。2000年には6次産業化に先駆け牧場カフェ「カントリーホーム風景」を開業。看板商品「草原のヨーグルト でーでーぽっぽ」は全国の百貨店やホテルなど取り扱い多数。
地元・広島県内の高校卒業後は、全国を渡り歩きながらいわゆるリゾートバイトとして観光や接客業に従事。人に関わる仕事に適性を感じており、特に牛や牧場に興味があったわけでもなかったという東さん。
「学生時代も社会人になってからも動物に関わる経験はゼロ。そんな私が北海道の牧場で働くことになるなんて……。自分でも驚きですけどね(笑)。以前、富良野の観光施設で短期の仕事をする機会があったんです。四季がはっきりとした北海道の大自然を肌で感じるうちに、ふと『もう少し北海道で働いてみたいなぁ』と思うように。そんなタイミングで、たまたま友人にこの牧場を紹介されました。自然と“人生で初めての経験”をしてみたいという気持ちも湧いてきて、まずは10ヵ月だけの短期スタッフとして採用してもらいました」(東さん)
酪農のイロハも知らないまま、持ち前のチャレンジ精神だけで酪農の道へ飛び込んだ東さん。入社前に思い描いていた仕事や職場環境とのギャップはなかったのかと尋ねると……。
「経験のない業界だけに、仕事に対する先入観もあまりなくて。自分のなかでは『そうか、こういうものなんだな』とわりとスムーズに消化できてきたように思います。先輩方は丁寧に教えてくれるし、社長夫妻も温かい人柄なので仕事以外のことでも気兼ねなく相談できる存在。『わからないのは当たり前なんだから何でも聞いて』って大きな心で受け入れてくれたから、自然と職場に馴染むことができました」
さらに、「十勝の酪農家って本当にたくましくて、かっこいいんですよ。牧場で起こるあらゆるハプニングに慣れているし、暑さに弱い牛たちのコンディションを保つために常に何歩も先を見据えた対策をしていて。心から尊敬しています。牧場で働くことでしか得られなかった気づきが、大きな財産になっていると思います」と強調します。
「毎朝5時には作業を始めるので、起床時には空はまだ真っ暗です。牧場近くの社宅から車で通勤していますが、本音を言えば、入社当初は『もう少し寝ていたい……』なんて思ったり。でもね、かわいい仔牛たちがお腹を空かせて私を待っていると思えば、早起きなんてどうってことなくなるもんですよ」と今ではすっかり余裕のようです。
東さんの1日は、仔牛の哺乳と体調チェックからスタート。この朝と夕方の決まった時間にエサを与える“ルーティン”がとても重要なのだとか。もし体調を崩すと家畜としての価値が下がり、それだけ経済的な影響も大きくなってしまいます。人間と同様に、仔牛は最も病気にかかりやすい月齢であるだけに、きめ細かやかな管理が求められます。
「朝の哺乳が終わると、続いて寝床の掃除・環境整備などを行います。早朝からの作業は骨が折れますが、朝日に照らされた牧場の景色がめちゃめちゃキレイなんですよ。寒ければ寒いほど空気が澄んで、感動的な眺めに疲れも吹き飛んでしまうほど。酪農家へのご褒美かもしれませんね」
現在、約40頭いる仔牛の健康管理を担うのは東さん含めて2名。自ずと仔牛に対する愛情が生まれ、特別な存在のようにも感じていると言います。その一方、仕事上避けては通れない、低能力牛の「淘汰(とうた)」と向き合うシーンもあります。
「牧場にいる牛たちは『経済動物』として育てられています。そのため健康管理を徹底するのは大前提ですが、どうしても命に関わる判断を下さなければならないときも……。彼らの尊い命と向き合うことは、とても重い責任だと感じています。だからこそ、酪農に関わる者として『観察力』を養うことが大切なんですよ」
どんなに心と心を通わせても牛は言葉を話せないため、行動の変化、食欲の有無、フンの状態などから人間が健康状態を読み取らなければなりません。この3年間、真剣に仔牛と向き合い、少しずつ牛の個性や体調の変化に気づけるようになったと振り返ります。
当初は10カ月のお試しのつもりが、雇用契約の延長を重ね今では職場になくてはならない存在となった東さん。「従業員にはできるだけ長く働いてほしい。だからこそ、働きやすい環境を作るのが経営者の責務」との清水社長の方針もあり、これまでの仕事感に少し変化があったようです。
「人より牛と向き合う時間が圧倒的に長いけれど、牧場での仕事は孤独ではありません。むしろ同僚や先輩方、獣医師など関係者とのチームワークが何よりも大事。たとえば、健康状況を円滑に共有するために毎日のミーティングは欠かせませんし、少しでも気になる兆候があればすぐ周囲に相談します。苦しい選択を迫られることもある職場だからこそ、日頃から助け合いの精神が根付いていると言いますか。“どんな人たちと働くか”で、こんなに働きやすさって変わるんだなと実感しています」
最後に、「どんな人材を職場の仲間として迎えたいか」と聞いてみたところ、想像の斜め上を行く回答が返ってきました……。
「体力とポテンシャル、と言いたいところですが、足りない部分はチームのメンバーで補い合えるので大丈夫だと思います。うちの社長はとてつもない気配り上手ですし、多少は無理をしたいのに絶対にさせてくれない牧場ですからね(笑)」
それよりも個人的には、一頭の仔牛の成長を見届けるまでは働き続けてほしいと思います。牛の妊娠期間は人間と同じく約10カ月間。産まれたてから世話をしてきた仔牛が2年くらいで今度は立派な母牛になるわけです。その成長ぶりは何にも代えがたいもので、大きなモチベーションになると思います」
1986年、広島県出身。小笠原諸島など国内各地のリゾート地で接客業を経験したのち、よその土地にはないスケールの大自然に惹かれて北海道・十勝へ。東瓜幕協和生産組合では仔牛の健康管理を担う哺育・育成に従事する。当初は10ヵ月の雇用期間だったものの持ち前の明るさ、そして多少のことには動じない“胆力”を買われて契約を延長。現在3年目の職場のムードメーカー。